高校の時、「暴力や言葉の暴力」を振るわれている男がいました。彼は僕とクラスが違うのですが、その辺りの話は噂で聞いていました。
ある日、詳しくは知らないのですが、彼に「暴力や言葉の暴力」を振るっていたむくつけ男たちの1人が停学処分を食らったというニュースを聞きました。それに伴い、彼を取り巻く環境についての情報を得ました。
彼は「暴力や言葉の暴力」を甘んじて受け入れていたのではなく、それに対して挑発的な態度を取っていて、しばしば喧嘩を起こしていたそうです。
意外でした。てっきり僕は、彼は被害者然として、いじめられっこ然としていたのだと思っていました。
そう。これははっきり言っていじめだと、僕は思うのです。*1
しかし彼は――彼はツイッターをやっていて、僕は相互フォローしているのですが――いじめを受けた、とつぶやくことは一度もありませんでした。
おそらくそれが、いじめられっこの取る普通の「主張」だと思うのです。
いじめられっこが、親や友人に、自分がいじめられていることを隠すきらいがある、というのは皆さんご存知のことと思います。そしてそれは、「周りに心配を掛けたくない」「自分が弱いものだと思われたくない」といった心理が働いているという事も、また。
まあ大抵は後者の理由でしょう。女性のいじめは知りませんが、男子はプライドを守るために必死です。ツイッターで「いじめを受けた」と告白することが如何に自分を押し殺すことか……考えてみれば分かると思います。だから彼はそう書かなかった。いじめではなく、「暴力や言葉の暴力」だった。
さらに彼にとっては、その現場を見られるのも、プライドを傷つけられることだった。*2すなわち無言の観衆の視線。自分が虐げられている姿をそれらに囲まれるという事態は、プライドが許さなかった。
だから彼はファイティングポーズを取らざるを得なかった。
いじめられているという構図から、悪者にセールで売られまくった喧嘩を買うという構図にした。
彼のことを可哀そうだと思っていた人も、ほぼ無関心でいた人も、内心ではむくつけ男たちを支持していた人たちも、何もせず傍観していたために――それが彼に反抗教唆をした。*3
以上の彼についての考察はほぼ僕の想像です。実際本人に訊いてみたら真っ向否定かもしれない。というか、否定するでしょう。否定するしか。できない。
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