研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

歩行者天国封鎖

 タイトルを見て、何を連想したでしょうか?

 

 僕は今日、この本を読み終わりました。

秋葉原事件 加藤智大の軌跡 (朝日文庫)

秋葉原事件 加藤智大の軌跡 (朝日文庫)

「友達がいるのに、なぜ孤独だったのか――?」

 帯に書いてあるコピーに惹かれて、本屋で買いました。

 孤独を考察する僕としては読んだ方が良いと思いました。

 恐らく秋葉原事件については、皆さん一定の知識はあると思います。加藤智大*1は、鬱屈した現実から逃げるためにネット掲示板を利用していたが、その掲示板でも居場所を失った――大筋としてはこんな感じですが、しかしそれは、この事件の本質とはずれているのです。掲示板の出来事は、男が犯行に及ぶトリガーでしかなく、その後ろには何層もの「蓄積」がありました。この本は加藤の「蓄積」を、小学校時代まで遡って、2008年6月8日までの心理と共に描いています。

 興味深かったのが、加藤が掲示板で、他者の反応をとても期待していた、という話です。末期になると加藤の立てたスレからは次々と人が去っていき、ついには「なりすまし」「荒らし」までもが去ろうとしたとき、「行くな」と言ったほどでした。

 

「もしツイッターをやっていれば、どうなったんだろう……」僕はそんな意味のないことを考えました。

 他人からの反応を受けたい場合、最近のSNSはとても便利だと思います。ツイッターは「ふぁぼ」、フェイスブックは「いいね!」、google+は「+1」、LINEは「既読」、など。いちいち言葉で返す必要は無く、ボタン一つで「誰かが反応してくれた!」といったお手軽な承認を与える/受けることができます。

 いまはツイッターがあっていい世の中になったなあ……と感傷に浸るのは簡単ですが、じゃあツイッターがなかったからあのような事件が起こったのかというと、それは違うと思います。

 本来大体不可能な現実と代替可能なネットが、逆転してしまった。それは決して、本人だけの責任なのだろうか? と、この本の筆者は問題提起しています。

 

 本音を言えるネットでできる友達こそが、本当の友達だ――それを頭ごなしに否定する権利は、僕には無い。

*1:加藤智大botっていうのがあるんですけど、ついさっきTLに来たツイート。

[https://twitter.com/katou_tomohiro/status/378514401298358273:embed#書き込みをしてもヒット数が自分の分しか増えないのは正直寂しいものがありますね… 初めから分かっていたはずなのですけれど。]

 ……僕のブログのことを言ってる?^^