研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

この孤独は、僕が選んだものだった。

上野 (前略)無縁社会や孤族が話題になるときに、ただちに「行政は何してる」って短絡するのは、すごくおかしい。なぜなら、行政だろうが隣人だろうが、「助けて」って言わない人には手も足も出せないから。

 

古市 困っている人に当事者意識がないとっていうことですか?

 

上野 そう。社会的弱者には、自分の当事者性を持ってもらわないと。自分が弱者だと認めることは、決して弱さではない。それどころか、自分に助けを求める権利があるという強さなのよ。その強さが、男にはない。

 

『上野先生、勝手に死なれちゃ困ります』(光文社新書、2011年)194,195ページ

 

 これは介護不安の本から引用したもので、つまりそういう文脈で言っているんですが、僕は赤字にしたところが別の角度で心に刺さりました。

 

 思い出したのは、大学受験の勉強をしていた日々のことです。

 僕は塾には通わず、学校の図書室や自習室で勉強していました。自習室というのは職員室の向かい側にあって、彼らは分からないことがあると職員室で先生を呼んで教えてもらっていました。

 僕は先生からアドバイスを受けたりはしませんでした。模試の結果をクラスのみんなで共有したりもしませんでした。研ぎ澄まされた孤独の中で勉強していました。

 夏休み前に三者面談があったときは担任にこう言われました。「もっと先生たちを利用しなさい」と。僕は高校の先生が開講している夏期講習を3つだけ登録していたのですが、どうやら他のみんなはもっと受講しているみたいです。*1それで担任は僕のことを心配していました。

 

 結果から言うと、僕は少しだけ助けを求めました。

 

 赤本を持って、苦手な古典の読解を、国語の先生に解説してもらうよう頼みました。それがセンター試験が終わった後で、第一志望の5日前ぐらいだったと思います。すごく分かりやすい解説をしてもらいました。しかも古典常識の参考書まで貸してもらいました。*2なんでもっと前から助けを求めなかったんだろうと思いました。*3

 

 試験の3日ぐらい前は内心めちゃくちゃ不安でした。志望校に落ちる自分を想像して身体が硬直していました。手と足の先が冷たくなりました。もし落ちたら、それは何がいけなかったんだろう? その理由は……と。

 さらに、あまりにも誰にも頼らず勉強しつづけている僕を見かねた母が、勉強中の僕に、ネットで仕入れた勉強法(単語は例文で覚えた方が良い、とか)を、アドバイスしてくれたんです。試験3日前にですよ?

 母が僕の部屋から去った時、涙が溢れました。胸が張り裂ける思いでした。なんで俺は母親を心配させているんだ。文字通り親身になってくれる人が近くにいるのに、その人の期待に添えられなさそうな雰囲気を見せてしまった。そういう自分の甘さに腹が立って、情けなくて、馬鹿らしくて、嗚咽を漏らしました。

 今でもあのときのことを思い出すと泣きそうです。

 

 話が逸れましたが、要は孤独は自分で手に入れるものだという事です。逆に言えば、助けは自分で手に入れるものだという事です。

 

「この孤独」*4については思うところがいろいろあるので、今後書いていきます。

 

上野先生、勝手に死なれちゃ困ります 僕らの介護不安に答えてください (光文社新書)

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明治大学(政治経済学部-一般選抜入試) (2013年版 大学入試シリーズ)

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マドンナ古文常識217―荻野文子の超基礎国語塾 (大学受験超基礎シリーズ)

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*1:僕は知らなかった。

*2:本番5日前に借りて、3日で読みました。直接役に立ったわけじゃなかったですが、古文を読む上でのリラックス効果といいますか、親しみやすくする一助となりました。後日、合格発表とともに本をお返しした時に「やりましたね!」って言われたのがすっごくうれしかった。そしてそのとき職員室の周りにいた先生からも拍手で祝福された。あのとき先生に助けを求めていなかったら、こんな体験はできなかった。

*3:でもやっぱり後悔の方が大きくて、数学の証明問題が苦手で苦しんでいたのを、助けを求める勇気がでなかったのは、今でもifを考えたりしてしまいます。

*4:「この孤独」の正体は、自分で選んだものなのか、それとも選ばざるを得なかったものなのか。ということです。