先日、バイトでやらかしました。具体的なことはいえないんですけど、とにかく僕は迷惑かけた人に謝りました。
一応決着がついたあと、僕は考えました:
「あんなに謝る必要があったのだろうか」
つまり、僕が「申し訳ありません」って言うその理由は、ただ怒られたくなかったからじゃないかって思うのです。
実際僕は「申し訳ありません」じゃなく、
「申し訳ありません(謝るから許してください)」
って言っていたんじゃないかと。
その言葉に、迷惑をかけた相手に対するお詫びの気持ちは消失しています。
昔話をしましょう。
2年ぐらい前、電車に乗っているとお子さん連れのお母さんが乗車してきました。そのお子さんは兄弟で、下の子が電車内で大声でしゃべってました。それを兄の子が、
「怒られちゃうからうるさくするなよ!」
って怒ったんです。
つまり彼の中で、電車内で静かにするのは「怒られないため」という理由からなんですね。
以上の2つの話に共通するのは、自分本位か他人本位かという見方です。
怒られないために「申し訳ありません」と言う、あるいは電車内で静かにするーーこれは自分本位です。
一方、お詫びとして「申し訳ありません」と言う、あるいは迷惑をかけない為に電車内で静かにするーーこれは他人本位です。
こう見ると他人本位の方が道徳的だって感じがするんですけど、でも常識的に考えて他人本位なんて無理じゃないですか?
だってこういう考えが一般的ならルールや法律は要らないはずですよ。
まあそれは話がデカすぎるけれども、何が言いたいかって言うと、要するに、本当のお詫びとしての「申し訳ありません」を発動することなんて不可能じゃないのってことです。
別にこれは言い訳とかじゃなくて、あくまで純粋な考察の結果です。
まあ、イデア界とかに行けば「お詫びのイデア」が見つかるかもしれないですけどね……