なんか短めのアニメを見たかったんで、ゲオで借りてきました。
『桜花抄』を見ているときは、主人公のモノローグが冗長で萎えました。なんか小説を朗読しているみたいで。映像作品なんだから、視覚と聴覚で見せればいいのに。って思ってました。実際、言葉に頼らなくても美術と音楽が大変優れていると思うんですけどね。
雪の所為で電車がまったく動かなく、焦燥感と諦念がちょっと絡まってる感じの心理が痛いぐらい伝わってきました。電車の平均速度が秒速5センチメートルって感じでしたね……
で、岩舟駅には明里が待っていましたと。なんかそれって現実的にどうなのって思わなくもなかったです。というか僕が完全に携帯電話世代なので、連絡が全くつかない状況を想像しづらいってのがありました。
そのあとの小屋で毛布に包まって寝るってのはよくわかんなかったですね。中学生のくせになんちゅう身体のキョリだっていう。でも心のキョリは1センチも近づいてなかったらしいですね、明里に言わせれば。
考えてみればこの作品は小学校の算数でやる「距離」「時間」「速度」がテーマのように思います。さきほど携帯がない状況を想像できないと言いましたが、第2話から携帯が登場するんですよね。これは時間の経過を端的に表していると思いますし、第3話の冒頭で現れた副題"a chain of short stories about their distance"も距離について明確に言及していますね。
桜花抄で一番好きなのは、明里が貴樹の上り電車を見送るところです。ホームに足あとが残ってるんですけど、明里は貴樹が乗車した入口から一歩も動いていないんですね。こういう見送りシーンでは、電車が進むにつれてホームの端まで走って追いかける、みたいなのがあると思うんですけど、それをしないっていう、二人の微妙な距離が表れていたと思います。
『コスモナウト』は宇宙を見透かすような空がめちゃめちゃ綺麗だった、というのが最も印象強いです。まあ空に限らず背景はかなり綺麗なんですけどね。写実とは違う、人間の主観が全面に出た、想像的な景色だと思います。DVD特典の新海監督インタビューでも、そう言ってました。
表題作の『秒速5センチメートル』ですが、あの結末はまあ予測出来ていたかな、と。10年間(推測)も離れ離れで結ばれる、というのはあまりに予定調和かなと思っていました。ネットでは主人公が女々しいという意見も散見されましたが、僕もそんな感想を抱いていました。
自分の過去の彼女を思い出してとてもつらいという人がいるようですが、僕は自分と全く重なることのない貴樹の学生時代(一応僕はまだ学生だけど)を見せつけられて胸が痛くなりました。本当にありがとうございました。
追記
DVD特典・新海監督インタビューでとても納得したお話がありました。
――今の時代、僕たちは何をするのも自由で、差し当たり衣食住も足り、身分の制約などもない。だけど人間関係上手くいかないってときがある。その理由は何かって考えた時に、「社会のせいだ」って言えるわけでもなく、自分自身に理由を見つけ出さないといけなくなる。そのどうしようもなさを秒速5センチメートルで描きたかった。――
ああ確かに、『コスモナウト』の二人と、メインの二人は、その「どうしようもなさ」の部分で共通しているなあ、としみじみ思いました。