研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

スマフォとの付き合い方

最初に断っておきますが、僕の使っているスマートヒョンはiPhoneです。

 

彼女とは発売後からもう半年ほどお付き合いさせて頂いているわけですが、

気づけば、スリープボタンを押して待ち受けを見ています。通知が来ているわけでもなく、右にスライドしてキーロック解除するかとおもいきやまた左にスライドして……とかいう不毛な動作をし、再びスリープボタンを押す……

なんだこれ、と自分でも思います。

ツイッターは最近はフォロー数が多くなり、TLを直接追うことはなくなりました。時間の無駄だと思いました。ところが僕はそのかわりにリストをいくつかつくり、そちらの方は逐次チェックしてしまっているのです。

これでは意味がありませんね。

だから最近はリストを減らし、以前のTLをちょくちょく追っていくスタイルに切り替えようとしたのですが、それもなんかだるいなあと。

最近津田大介さんが「ツイッターは構築された世間だ」って言っていて、どういうことかというと、

ツイッターって好きな人しかフォローしないじゃないですか。それで自分にとって嫌なツイートしてる人がいたらリムるじゃないですか。それの繰り返しによって自分にとっての優しい世界を構築するんだけど、それは現実の世間とは隔絶しているねっていうことです。

僕はそのことに危機感を抱き始めたんです。というのは、別に閉鎖的な価値観しか持てなくなるってことだけじゃなくて、ただ自分にとって心地よい空間があると、そこに依存してしまうんじゃないかというふうに思ったんですね。

いやもう既に依存気味なわけですが……

ツイッターだけじゃなくてニュースアプリとかも僕は常にマルチタスク化されてて、そんなに2ちゃんまとめとか見てて楽しいか?って自問自答したりしてるんですよ。おーぷん2ちゃんが出現してから実際つまらなくなったと思うし。

もっと僕にはやるべきことがあると思うんです。Javaの勉強とか、英語の勉強とか、今まであまり親しみのなかった近代文学を読んだりとか、毎日新聞を読んだりとか(「『毎日新聞』を読む」という意味ではない)……

今のスマホ中毒の僕は、やりたいこととやるべきことが一致してないんですよ。詰まるところ、惰性化してます。

じゃあどうするかって話なんですけど、僕がとりあえず最近やってるのは、「とにかく速く動く」です。

ニュースをスマホで見るときはクロックアップして読む。シェアするなら秒速でする。ツイッターを見るなら、もう動体視力を極限まで上げてズザーッて読む。このとき、音楽を聞きながらとかじゃだめです。「まだこの曲終わってねえし、他のコンテンツもチェックするか」とかなるんで。

で、スマホでやることが終わったら、今度は本を読む。本は、僕は積ん読がたくさんあるので、没頭したら最後、有益な時間の消費ができます。

たぶん。

そういう風にして、ちょっとづつ「毒」を抜いていこうと思っています。