あんまりこういうこと言うべきじゃないのかもしれませんが、僕がツイッタを始めた頃にフォローした人との距離を最近感じます。いや、ツイッタユーザーに距離もなにもないとは思うんですけど、要するにツイートにあまり興味を示さなくなった、ということです。
初期の頃はアニメやラジオといった共通の趣味をもつユーザーをフォローし、ツイッターという新たなコミュニケーションの形にそれなりに興奮し、タイムラインを読むことがそのまま娯楽となっていました。
ただ最近になって、なんか違うなと思うようになりました。
蓋し、趣味の指向性(嗜好性)が分化したんでしょう。僕も昔ほどアニメを見なくなり、アニラジは聞かず、ツイッタ実況はせず、むしろタイムラインにおけるノイズとして認識しはじめている。
僕がアカウントを作ったのは2010年の1月でしたから、もう4年以上同じような人のツイートを見てるわけで、しかし、リムーブするのにはそんなにためらいがないんですよね。
ネットのつながりって得てして共通の話題の輪であって、シコウ性の齟齬が表面化した時点で、そのつながりを先程述べたようにノイズとして認識しがち、あるいはもう存在自体を認識しなくなったりするんですよね。ですよねっていうか、実際僕がそうなってるんです……
一方僕が持ってるリア友用アカウントは現実の交友をネットに拡張しただけの話であって、リムーブするインセンティブってそんなにないのかなあと。テレビに出てる有名人のアカウントをフォローするのと、原理的には変わってないような気がします。ツイートのシコウ性じゃなくて、発言者に興味があるから見てる。
で、なぜシコウ性が分化した上にそれが僕のシコウ性となかなか一致しないかというと、安直かもしれないけれどやはり若いからだと思うんですね。
僕自身、自己分析(笑)するに、4年前とは考え方とかだいぶ変わってると思うんですよ。そして4年前僕は、僕と同じぐらいの年代の人を選んでフォローしてったんですよ。それぞれが無数の可能性をもって(なんだこのJpopみたいな文章)4年間経ったわけだから、反りが合わなくなることだってあるでしょう、と。
えーっとなにが言いたいんだかわけわかめになってきましたけど、つまりそういうことです(意味不明)