研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

解釈の境界画定

学のとき田中(仮名)ってやつがいて、いてっていうかいなかったんですが、まあ要するに入学1日目からずっと教室に姿を表さない登校拒否だったんですよ。僕は田中とは違う小学校だったので顔も知らないんです。

 

これは田中と同じ出身校のクラスメイトが話していたことなのですが、田中は小学生のときから登校拒否っており、ある日なぜか田中が学校に来た時、クラスメイトは気を遣って

「髪切った?」

とにこやかに話しかけたのだそうです。

ところが田中は翌日から再び学校に来ず、田中の親を通じて担任に伝達された情報によると、「田中は学校でいじめられた」ということらしいです。

 

そのエピソードを聞いた僕(厨房)は「まじかよやべーな」みたいなことを反射的に言っていたのでした。

 

しかし今思うとそんな簡単な話でもないな、と。元クラスメイトたちが田中の家に行き、「悪い気持ちにさせてしまってすまなかった。しかし髪切った? と聞いたのは単純に君のことを思っていて……」などと千の言葉を用いて説得したってどうしようもねえなと思いませんか。

 

言葉の解釈の境界画定はもはや不可能なんだなと思い知らされました。

 

というか、田中がそれを真っ先に察知したのでしょう。だから田中は、共有不能なコミュニケーション自体を切断したのかもしれない。そう考えれば、ある意味で田中の撤退はきわめてラディカルな決断だったと思います。

 

しかしそれでいいのでしょうか。田中みたいなやつは自らをコミュニティから隔離することで生きながらえるしかないのでしょうか。

 

とりあえず今の僕にはその問題提起しかできない。