研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

Facebookの網

最近大学のキャンパスで、高校の同じクラスだった女子に似てる人をしばしば見かけるんですよ。Rさんとしましょう。

すごく似てるんですけど凝視する訳にもいかず、人違いの可能性もある。なんか気になって、Rさんのツイッターのアカウントを特定してやろう(ゲス顔)とか思ったんですけど見つからないんですよね。

以前別ルートでRさんのツイッター垢を見たことあったんですが、なぜかない。いやあるのかもしれないけど、iPhoneもだいぶ加熱してきてこれ以上の捜索は無理と判断、それからしばらくこの件のことは忘れました。


それで今日たまたま、Rさんが学部掲示板を見ているのを見つけたんです。あーこの人文学部なんだへーとか思ったんですが、それで再び興味を持ち、何とかして彼女の情報を得ようと思ったんですね。

我ながら完全にやばい奴ですけどね、僕。

しかしツイッターの海にもう一度潜るのはだるい。

そこで気づいたんですよ。


Facebookなら一瞬で見つかるんじゃね?


完全に冴えた僕は、FacebookアプリでRさんの名前を検索窓に入力しました。漢字は知らなかったけどフルネームを知っていた(カースト高いグループの人だったから、皆から名前で呼ばれてた)から、リストの一番上に出てきました。

プロフィールは、僕と同じ高校、同じ大学の名前が書いてある。

捕捉成功。

やはりあの人はRさんで、Rさんは俺と同じ大学に進学していたのか……。しかしアイコン変更フィードしか更新されておらず、全然大学生活について知ることはできませんでした。


不思議な気分でした。恋心とかでは決してないけど、同じクラスだったというだけで近況とか知りたくなるんですね。僕はカースト最下位どころか、カーストからもドロップアウトした単に「迷惑なヤツ」だったのでクラスメートとの接触は無いに等しかったのですが。。


自分がいかにツイッターに取り憑かれていてFacebookリア充ツールから距離を置いているのかを、身を以て知った出来事でした。