ホームページを一瞥することもなく新宿バルト9の上映日程を確認し、「ユーネクスト」というサービスのキャンペーンを利用し、なんと無料でチケットを購入。5年ぐらいぶりにバルト9に行ってきました。
チケットホールには主人公の女の子のフィギュア? が。ちなみに事前情報皆無なので名前も知りませんでした。ただSFらしいというのは風の噂で知っていました。
お手を触れたい。
いろんなアングルから舐め回すように撮影……
結構露出が激しいですね。
ポスターもありました。
主人公の女の子初登場シーンで「ああ、釘宮さんだ」と容易に気づいたわけですが、しかし他方で釘宮さんとは思えない大人しい声の演技だったので新鮮に感じました。まあすぐに16歳になっちゃうんですけどね。
この16歳のボディがたいへんけしからんのですよね。設定上アンジェラの精神(攻殻機動隊でいう「ゴースト」)は電脳空間(ディーヴァ)に保存されていて、それを肉体に移すことで地上で活動することができるわけですが、そのための肉体はなんでもいいってわけじゃないそうです。自分自身の遺伝子から生成された肉体じゃないと「馴染まない」のだとか。
マトリックスと違うのは、最後アンジェラが象徴界を選択するというところです。地球にはディーヴァにはない魅力があると考えたのです。地球もディーヴァの中央管理局の統制下にあるのだけどそれは今後大丈夫なのだろうか、とは思いました。
ディンゴは「風邪を引いたら、栄養つけて暖かくして寝るしかねえ」みたいなことを言います。これはまるでスマホが圏外で繋がらない状況の私たちのようです。アンジェラが「オフラインじゃ任務を遂行できないじゃない!」とかなしみに暮れる姿に、現代の私たちの姿を垣間見ました。
『楽園追放』は明示的に娯楽作品です。オール3DCGによる滑らかな動作は「リアルっぽさ」と「二次元」の両方を兼ね備えていて刺激的でした。
また、随所で揺れるアンジェラの乳、意味有り気にクローズアップされるアンジェラの尻、暴力的なまでに媚びたハイレグスーツなど、全てがパーフェクトにオタクの心を鷲掴みにしています。
しかしSFというのは得てして哲学的なテーマを含んでしまうんです。僕が注目したのはフロンティアセッターの使命感です。彼はジェネシスアーク号に人間が誰も乗っていないにもかかわらず、ジェネシスアーク号を発進させなければならないという使命感を負っています。
今時こんな人間はいません。そう、彼は人工知能でありかつ機械生命体であるにもかかわらず、とっても人間らしいのです。
世界は機械化に伴い近代に突入しました。工場の仕事はマニュアル化され、誰でもできるような簡単な作業が生産を賄うようになりました。僕もレジ打ちのバイトをしていて思います:「これは本当に俺がやらなければいけないことなのか?」
ある意味では技術の進歩は人間の人間そのものを侵犯するものだといえます。情報技術の進歩は攻殻機動隊のように「どこまでが人間でどこからがロボットなのか」という難しい問題を発生させます。
そう考えると、アンジェラが最後、人間の技術の結晶であるロケットに搭乗せずフロンティアセッターとの決別を選んだのは、技術の発展に対する抵抗なのかもしれません。
映画を観た後にニュータイプ12月号の虚淵玄インタビューを読んだのですが、虚淵さんはツイッターのことを「恐ろしいメディア」と語っています。それは取りも直さず、ツイッター(サイバースペース=ディーヴァ=楽園)から追放された人間こそが本当に自由になれるのだ、と言っているのではないかと僕は思うのです。
総じて面白い映画でした。全然期待してなかった、というか全然前情報なしで観たのに見終わった後の興奮は凄かったです。パンフレットを買おうと電撃的に思ったのですが売り切れてました。
そして怒りのアンジェラ再撮影会……
顔認証もされた。