久しぶりになにもない日だった。こんな日は映画でも観るのが一番だ。そういうわけで、ぼくは以前から気になっていた『orange』を観ようと思った。さっそくスマホでピカデリーの予約フォームを開く。ぼくはいつも映画を観るときは基本的に深夜の上映回を選ぶ。なぜなら人が少なくてのびのびできるからだ。あとは深夜特有の包み込まれるような空気のなかでタバコを吸うのが好きだからだ。
けれどもその日はぼくにしてはめずらしく、18時からの回を予約した。理由は後述する。
さて、『orange』についてですが、結論から言うとたいへん良かったです。不覚にもちょっと泣きました。ええ、感動しましたよ。翔、良かったね。
かんたんなあらすじ。高校2年生の始業式の日、菜穂のもとに一通の手紙がとどきます。差出人は、同じく菜穂。なんと内容は、10年後の菜穂が現在の菜穂に対して「過去を変えてほしい」というものでした。それはどんな過去か。始業式の日、菜穂のクラスに転校生がやってきます。それが翔という男の子です。翔と菜穂はしだいに仲良くなっていくのですが、未来の手紙によると、翔は交通事故で亡くなってしまうそうなのです。菜穂は手紙に書かれた手がかりをもとに、翔の死なない、もうひとつの世界をつくろうと努力します。
……とぼくがあらすじを書くと「ゴリゴリのSFかな?」という印象がありますが、実際はあまあまの青春ラブストーリーと見てほぼ100%間違いはありません。一緒に夏祭りに行ったり、文化祭の後の花火をプールサイドで二人きりで見たり、体育の授業で怪我したところに絆創膏を貼ってあげたり貼られたり、おでここっつんってされたり……少女マンガらしい話の展開です。
少女マンガに造詣が深くないぼくとしては、けっこう異物を身体に取り入れてる感はありました。ていうかそもそもぼくはこの作品はSF青春ラブストーリー、きみを救うためにぼくはなんどでも時間を遡る! 系のお話だとてっきり思っていたのですが、なんか最初の桜並木を自転車で漕ぐシーンの撮り方っていうか雰囲気からして、
「なんか違ない?」
という感じでした。
でもやっぱりそうなのかなって思ってたんですよ、だって劇場入ったときから「どんだけスイーツおんねん」って思ってましたからね。SFモノにしては若い女性多すぎだろって思いましたからね。まあ少女マンガ原作ってことはなんとなく知ってたんですけど。
でもこれは実はぼくの狙い通りでもあったんですね。どういうことかというと、映画館で映画を観るメリットって、画面がでかいとか音響が迫力あるとかいろいろあると思うんですけど、ぼくがそれと同時に良いなと思っているのは、ほかの観客の人たちの反応をリアルに見れるところですね。
べつにいいんですよ? DVDで見ても。こないだ見た007とか、ぶっちゃけほかの観客の反応なんて大したことなかったし、何かすごい反応が見れると期待してたわけでもなかったですからね。
でもorangeはどうでしょうか? 少女マンガ原作と言うことで、おそらく若い女性の観客が多いと思うんです。しかも、けっこう"""そういう"""タイプの女性ですよね。"""そういう"""タイプの女性って、たぶん007を観ている時と違って、orangeを観ている時は「良い反応」をしそうだなって思いませんか? ぼくは思いました。
深夜ではなく18時からの上映回を選択したのは、その最もメインの客層である女性が一番多いのは、きっと終電を気にする必要のある深夜ではなく、終了後に友達と語る時間のある夕方18時からの回のはずだ、と思ったわけです。18時からの回は席も混雑していて、やや窮屈かなとは思いましたが、そういう理由でぼくはあえて18時からの回を予約しました。
結果は良かったです。すごく印象に残った「シーン」を紹介します。翔が「言うなよっ」て菜穂の頭をコツンってする場面がありました。ぼくはそこで「これは女子きゅんきゅんやろなあ」と思っていました。けれども女性たちはそこでは感情を発露しませんでした。高ぶった感情が表出したのはその後でした。翔の行動にアズが「何だよ今のー!」とか勝手に盛り上がります。そこで会場の一部から「キャーッ」という声が上がりました。つまりきゅんきゅんするようなことをされた瞬間は頭がぼーっとしてて、それからいくばくかのラグがあって、それから「キャーッ」てなるんですね。これ、すごいおもしろいなあと思いました。
実は本編開始前の予告でも似た出来事がありました。なんていう映画か覚えてないのですが、男が女にキスを迫り、女が「待って」って言うんですけど、男は「待たない」って言って目を閉じて唇を近づけるんですね。この予告はぼくはもう何回か見ていて、ふーんって感じだったんですが、これもきゅんきゅんシーンから若干のラグののちに「フワァーッ」っていう女性の声が会場を覆いました。
外側の話はこれぐらいにして、内側の話をします。orangeにぼくが惹かれたのは、やはりこれがただの恋愛話ではなくSFの要素が盛り込まれているからですね。「未来の自分から手紙がとどく」というワンイシュー、ワンテーマのみに関心があって鑑賞を決意したわけですから。結果、序盤は確かに「なんだこのスイーツ」とは思ったものの、後半はいわゆる「時間モノ」で取り扱われているテーマのエッセンスがしっかり表れていて、なかなかよくできているなあと感心しました。どういうことでしょうか。
まじめ系時間遡行フィクションによくあるように、orangeでも物語中、パラレルワールドの概念について説明するシーンがあります。過去に遡ると親殺しのパラドクスなどが生じ、歴史に整合性が取れなくなる。ではどうなるか。もうひとつのパラレルワールドが派生する。つまり、過去に戻る、あるいはorangeで言えば過去に干渉するといった行為は、不可避的に「もうひとつの世界」を誕生させます。
orangeは死ぬはずだった翔を生きながらえさせる話です。10年後の菜穂の世界では翔は高校2年生で死にます。そこで菜穂は10年前の自分に手紙をとどけ、翔を助けるように言います。
結論からいうと翔は助かります。ただしここで注意すべきなのは、これは手紙の送り主である10年後の菜穂がいる世界とは決定的に違う世界の話に過ぎない、ということです。
10年後の菜穂は翔を救うことに成功しました。けれどもそれはあくまで別の平行世界の話です。10年後の菜穂がいる世界は何の変化もなく、ただただ夭折した親友を追悼し続けることしか許されません。それでも10年後の菜穂は全然構わないのです。そもそも手紙が10年前にとどき、その手紙によって翔が助かったのかどうかさえ、10年後の菜穂は分からないのです。なぜなら過去が変更され、新たな平行世界が誕生したことを知る方法など存在しないからです。10年後の菜穂はそれでもいい、と言います。いや、きっと翔は助かっている、と感じ取るのです。
映画の最後、彼らは丘の上から松本市を一望します。10年後の翔がいない彼らと、現在の翔がいる彼らの姿が交互に写されます。ぼくたちはそんなふたつの時間軸にいる彼らを重ね合わせ、さまざまなことを考えます。
ぼくが考えたのは、人は別の平行世界について考えることができるのだろうか? ということです。ここでは哲学的な話は置いといて、シンプルに、過去に干渉した際に立ち現れた翔生存ルートについて、菜穂はなぜ想像を巡らせることができるのだろうか? ということについて考えていました。手紙がとどいたのかどうかさえ分からない。ましてやそれで翔が助かったかどうかなど知るわけもない。けれども菜穂のなかには何かの確信めいた予感がある。そうして別の、自分がいない世界の幸せを祝福することができる。そうしたある種の飛躍、言ってしまえば超越性こそが、このorangeという作品の急所(良い意味)だとぼくは感じました。
疲れたのでこっから先は箇条書きで。映画の後に感動して一気買いした原作について書きます。
・手紙とどいてたの菜穂と須和だけじゃなかったんかい
・髪留めプレゼントするエピソードとか映画になかったよね? まあ尺の都合上やむをえないか……
・絵がとてもきれい
・菜穂茶髪やん
・リレーで伝言するのはやはり現実的ではない
・映画でクリスマスの話全然出てなかったけどそういう事情だったのね。でも一言も言及しないってちょっと違和感あったよね。恋愛映画なのにクリスマスガンスルーってけっこうびびった。
・翔死亡ルートを描いているのはよかった。翔に感情移入できた。
・雨の下校時に相合い傘して、翔が「もっとこっち」って言って近づいてきて、菜穂が照れちゃってびっくりして傘を放しちゃって、ずぶ濡れになった二人が雨宿りするんですけど、そこで菜穂が翔と手を繋ごうと思って手を出すんですね。そしたら翔「繋がないよ もういい 一回 文化祭で繋いだし」それに対して菜穂「一回だけ?」このシーンにクラリときた。このシーンは男性読者死亡案件ですよ
・菜穂と須和が結婚してるのもそういういきさつがあったのね。
・でも手紙が過去にとどいた理屈は若干弱いものの、一応説明されていてよかった
・映画で、菜穂が日記を読み返しているときに「翔」という文字がいくつもいくつもアップで連続的に写されるシーンがある。ぼくはあれがとてもいいなー、名前を見るだけでドキドキしちゃう菜穂の気持ちをうまく表現しているなーと思っていたのですが、この描写は原作にはない模様。確かに映像ならではのテクニックではある。