研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

コミュ障

いつのまにか新卒2年目になってしまった。4月入ってからの2週間は死ぬほど忙しくて、毎日12時ぐらいまで残業をしていた。一度終電を逃した。仕事ってなんなのだろうとその意義をいくども疑った。というか、なぜこんなに遅くまで仕事をしなければならないのか。俺の能力が足りないのか、仕事の量がキャパ越えなのか、あるいはその両方か……いずれにせよ仕事はまったく終わらなかった。

2週間が過ぎ、なんとか山は越えた。だがこの山が次来たときにどのように超えればいいのかわからない。その不安がいまもある。また、ここ最近、土日に仕事を持ち帰り家で仕事をすることが常態化しつつある。そうすることで月曜日の仕事のスタートダッシュを円滑に迎えようという算段だが、そのせいで土日の充実感が著しく欠損し、月曜日開始時点でのスタミナがすでに70%みたいな状況にある気もする。しかし土日にやっておかないと月曜日がやばい……

 

まあそんなこんなでゴールデンウィーク。今日気付いたのだが、ここ1年、自分は頭を使うことがなくなってしまったように思う。本を読む時間が減ったというのもそうだし、文章を書くことも減ってしまった。人と話す機会も一人暮らしを始めたこともあり会社以外ではほぼなくなった。インプットはかろうじてしているのだが、質が悪くなったように感じている。ラジオを聞いてもほぼBGMと化していて、内容が頭に入ってこない。小説を読んでいても途中から登場人物が何をしてるんだか分からなくなる(というのは結構前からあったが)。

会社でのコミュニケーションも絶望的に劣化している。一つ上の先輩が怖すぎて、脳が収縮し、質問するときの文章の組み立てが意味不明なことになっていた。自分のなかにある疑問(のようなもの。それはたいてい明確な輪郭を持っておらず、自分でもよくわかってない)をうまく言語化することができず、先輩に「何が分からないのかがわからない」となじられる場面があった。その先輩は4月に異動になったのでもう話す機会はほぼないのだが、じつはその先輩がやっていた仕事の60%ぐらいを俺が引き継いでいて、たまにメールで仕事の質問をしたりするのだが、文面を考えるたびに不安になる。なにを言われてしまうのだろう、と。そして返信が遅いと、やっぱり自分は見はなされたのだろうか、とやりきれなくなる。高校の時も部活の先輩に送ったメールの返信が怖くてノイローゼ気味になっていたことがあったのだが、その時のことを思い出させるようだ。

あとこれは前からそうだが、会社では基本的に緊張・萎縮して声が小さくなる。喉や腹が不必要に力んでしまい、肺から空気をうまく出せない。なんなのだろう。

1か月ぐらい前にこの本を読み、「ああ、俺のことだ」と思ったのだが、とくに解決策は書かれておらず、そこが多少残念だった。ただ「わかるわかる」という共感喚起性は非常に優れており、それだけでも読む価値があった。

 

 

ただ自分は回避性パーソナリティ障害というよりは、場面緘黙症なのではないかという気もする。

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よくいわれることだけども、「自分はこういう状態にある」とか、「自分のこの状態に名前がついている」ということを知るだけでも気持ちが和らぐことがある。それはいいことですよね。

 

あとどうでもいいけど、先日VAPE(電子タバコ)を買いました。青リンゴ味のフレーバーを購入してみたんですが、わりといいですね。キック感(これタバコ吸ってる人じゃないとわからないと思う)がないのがマイナスという話を聞きますが、個人的にはキック感なんてそもそもタバコに求めてなくて、求めてるのはリラックス効果なので、別にという感じです。煙じゃなくて水蒸気がでるので部屋で気軽に吸えるのがいいですね。何より臭わないというのがたいへん良い。ここまで臭わないと、喫煙所で紫煙にまみれてこれを吸うのもなんか腹立ってくるレベルです。こんなにクリーンなものを俺は使ってるのに、お前らの吐く煙汚いぞ、と。昔きゃりーぱみゅぱみゅが「タバコは吸ってもいいけど吐かないでほしい」とツイッターで言っていて思わずふぁぼってしまったのですが、その気持ちよく分かるなあと思い出しつつ共感しました。