電車を降りて五反田のHUBに入る。ここに来るのは久しぶりだった。小雨の降る夜だった。バスのパイントを注文すると、カウンターのポスターが目に入った。「バスペールエールは9月末で提供を終了します」……
テーブルでパイントをあおり、ボックスの中を覗くと、タバコの残りは2本だった。窓から漏れこむ湿気が白い巻紙に染み込んでいくような気がした。僕はチャチな100円ライターで火を付けた。
それは9月のはじめ、暦的には夏の終わりを感じつつも気温的には全くそんなことを感じさせない昼休みのことだった。いつもどおり会社のローソンのイートインスペースで、たいしたことないおにぎりやらなにやらを食べていると、一枚のチラシが目に入った。
「タバコ値上げ! カートン予約承ります」
……
チラシを手に取る。
僕が常喫しているピースのスーパーライトは40円値上がりして500円になるのだという。
500円……
週1.5箱のペースで購入する娯楽としてはけっこうな重みを感じた。大学生の時初めて吸ったマルボロのアイスブラスト……当時はまだ440円ぐらいだったと思う。それからそんなにたたないうちにアークロイヤル・スイートと出会い、僕はそいつと約4年間を共にする。コミュ障ゆえ飲み会で間が持たなくても、タバコを吸っていればいっぱしの大学生になれたような気がした。大学の喫煙所でゼミのやつらとダラダラして不浄な連帯感を覚えていた。茶色の巻紙で「珍しいタバコ!」と一目置かれ、一本あげたら「甘っ!」。そんなコミュニケーションを何度したことか。「でもうまいよね」。真面目で悪さをしない僕にとってニコチンで身体を汚すことが唯一の悪さだった。煙を取り込み匂いを纏うことで本来の自分とは違う階層に触れることができた。
社会人になってからはタバコ屋に足を運ぶのが面倒になり、コンビニで手に入るピースを吸うようになった。こいつはアークスイートよりも20円高い460円だった。僕は時間を金で買うようになっていた。甘いとはいうけれど、アークスイートの甘さとは程遠いものだった。でも嫌いじゃなかった。アークスイートよりもちゃんと葉が詰まっていて、手軽にニコチンを摂取できる。タールも3ミリ少ない。だからって毒を食らうことを免責しようとしてるわけじゃないけど。でも初めてのボーナスを使って引っ越しをして、最初にベランダの灰皿に押し付けたのはアークスイートだった。一人暮らし開始を告げる狼煙は大学の時と変わらず甘ったるかった。
そんなことを振り返りながら1本目のタバコを吸い終える。窓の外を見ると、雨はいっそう激しくなっていた。
そろそろ潮時なのかもしれないなーー
パイントで喉を潤し、最後の一本に火を付けた。
もしかしたら本当に、これが「最後の一本」になるかもしれない。
だとしたら最後の一本がこんなにあっけなくていいのかよ? いや逆に、最後の一本にふさわしいシチュエーションって例えばなんだよ。心の中で苦笑する。例えば戦場で親の仇に復讐して屍の上で吸うとか? それが最後っていうのもなぁ……
続けざまに吸っているとだんだん嫌になってきて、僕は素直にタバコを楽しむことができず、先端を灰皿に押し付けた。もう終わりだ。まだ吸い終わるには長さがあったがどうでもいいや。この続きがありそうでない感じ。この感じを大切にしていきたいね。などと意味不明なことを思っていたら窓の外の雨は小康状態に入っていた。いいじゃん。僕はパイントを飲み干し薄い紫煙の立ち込めるHUBを後にした。たぶん9月中には来ないだろうから、HUBで飲むバスペールエールのパイントはあれが最後だ。HUBのバス。これも大学時代いっぱい飲んだ。さようなら。またどこかで会いたいね。そして指先に付いたタバコの匂いとももうおさらばだ。さようなら。もう会わないといいね。