研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

ビジネスに効く『若おかみは小学生!』

たんに大きいお友達が観てる映画かと思いきや、意識の高いオタクも観てるみたいで、じゃあ観とくかぐらいの軽い気持ちでバルト9にはいった。見終えてすぐの感想は「いい映画だったー」。おっこは両親の死を受け止められず、夢の中で生存している両親と触れ合いながら旅館の仕事を覚えていく。旅館には大女将の幼少期の友達・うり坊の幽霊が浮遊しているが、彼はおっこにしか見えない。おっこはうり坊やそのほかの霊に支えながら仕事に邁進するが、とある宿泊客とのやりとりのなかでついに両親の死を受け入れる。生から死へのモラトリアムのメタファーであるうり坊たちはそれを境に消えてしまう。ということで非常にプリミティブな童話でありながらも大きなお友達たちの心を掴んだのは、やはり、これがある種のビジネスアニメでもあるからだろう。病気だから濃い味付けのものは食べられないし酒も飲めない、でも濃い味付けのものを食べたいし酒も味わいたいという身勝手な客に対し、ライバル旅館の跡取り娘・ピンフリに頭を下げてレシピを聞くシーンなど、一部の営業職にとっては非常に既視感のある光景だ。また、たんに要求に応えるだけではなく、露天風呂に入った客のためにフルーツカクテルを用意しておくなど、主体的な気配りも欠かさない。一部の営業職にとってこのような接待は非常に既視感のある光景だ。ことほどさようにスキルフルなおっこ・12歳(推定)に励まされたおじさんは少なくない。しかし真に注目すべきはむしろ前半で指摘した部分、すなわち幽霊との慈愛に満ちた戯れだろう。仕事に打ち込みながらも他者には見えない幽霊と触れ合い、時にはそれに耽溺する。しかし「死」をきっかけにそれは見えなくなる。おっこの姿は、おじさんたちにとっての「虚構」と「現実」、「死」と「生」の折り合いのつけ方を占っているように見えなくもない。