研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

声が通らない飲み会と小・中学生時代の耐えがたい屈辱的記憶

2019年の上半期が終わろうとする事実に戸惑いを禁じ得ない。だってこないだ新しくなったばかりじゃん?  ってそれは平成令和改元だった。5.1。なぜか大みそか→正月ムードがあったからね。しかしそれもすでに遠い記憶だ。

 

金曜日、会社の飲み会があった。二次会ですんごいうるさい安居酒屋に入って、したっぱ新卒の僕にいろいろ話を振られたのだが、僕は声が通らないのでがんばって大声を出すのだが、聞き返されたりして、つらい。僕以外の7人の先輩方に注目されるなか、そして今までなかなか体験したことのないレベルの喧騒のなか、緊張しながら大声でお話をするというのは無理ゲーだった。「もっと声張ったほうがいいよ」といわれ、「そうですよね」と言うしかないのだがたぶんそのそうですよねも喧騒にかき消され届いてない。

 

うーん。うるさい空間じゃなかったらいろいろしゃべれる気がするんだけどなあ。うるさいと、(どうせ俺の言葉は聞こえないんじゃないか)(何か言っても聞き返されるんじゃないか)(声を張ると怒ってると思われないか?)とかいろいろ考えてしまい、声が出せない。ま、静かな空間だったとしても話せないという説もあるけどね。いずれにせよ、僕は声が出せない。

 

そういう時に思い出すのは、小5だか6だかの合唱の練習の時間だ。男子はだいたい合唱でまじめに歌わないんだけど、で僕はがんばって声を出してるつもりなんだけど、あんまり出ない。たぶん声質的な問題、発声の技術的な問題、それから精神的な問題、このみっつが複合的にあわさっている。まあとにかく僕は声が出なくて、そんで担任の先生が「声が聞こえる人は名前を呼ぶので座りなさい」って言って、つぎつぎに名前を呼ぶ。最後に僕とあとふたりの男子が残って、合唱練習用のテープが流れるなか、3人で歌った。でもほかの生徒みんなが教室で体育座りしてじっと僕らの姿を見物しているなかで大声で歌うなんてできるわけない。それでもがんばって僕らは歌って、そして僕だけがひとり残った。僕の声が聞こえないので、先生はテープの音量を下げた。どんどん下げた。大きな声で歌え、ということだった。無理だった。先生は「もっと声を出せ!」みたいなことを、僕を睨みつけながら言っていた。あの顔は今でも思い出せる。10数年間が過ぎたいまでも傷痕の癒えることがない、耐えがたき屈辱だった。

 

中学に入ってからも同じようなことがあった。男声と女声に分かれてパート別の練習をしていた。僕とはべつの小学校から来た同級生で、ひじょうに悪どいやつがパートリーダー的なことをしていた。屈辱①と同じことがそいつ指導のもと行われ、僕は13歳の、中学に入ったばかりの、べつに上下関係が生じるわけでもない、同い年の、同級生の、同じクラスの男子に「なんで声を出さない!」的なことを言われた。それ以外の思い出すことのできない数々の悪態もつかれた。あるいは覚えてるけど記憶にフタをして思い出そうとしてないのか。これが屈辱②だ。

 

飲み会で声が通らないたびに、「もっと声だして!」と言われるたびに、僕はこの屈辱①と屈辱②を思いだす。もちろんいま僕と飲む人は大人だから、馬鹿にするような言い方はしない。「もっと声出さないと聞こえないよ〜ここうるさいからね〜」ぐらいのノリだろう。けっして僕のことを指弾するような姿勢ではない。けれどもその中に、「あなたの声が小さくて聞こえないから困る」という含みがあるのは確かだろう。そりゃそうだ。僕だって飲み会で声が小さい人と当たるとちょっと話しづらいなと思う。だからこそ、声が……と言われるとつらい。悲しい。

 

じゃあどうすればいいんだろう。たぶん僕がやるべきなのは、ボイストレーニングとかそういう自己鍛錬系のなにかなんだろうと思う。YouTubeで発声講座とか見るべきなんだろう。しかし心の底には、「ハードルを越えるという思考ではなく、ハードルのない道を探せ」という誰かの呼びかけがこだましている。それが具体的に何を示すのかはわからない。しかしその謎の呼び声が、僕にボイトレなどによる安直な解決を禁じている気がしてならないのだ。