研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

映画感想「天使のくれた時間」

仕事がいろいろひと段落ついたのですが、同時にコロナが爆発しリモートワークになったり自粛したりいろいろ難しいことになっている。気持ちが塞いでしまうわ。映画も最近見てないのだけど、俺は映画の素晴らしさは知っているので、体に鞭打ってWiMAX通信制限のなか、スマホでネットフリックスを起動した。フィルマークスをだらだら見ていたらなんか目を引かれるキービジュアルの映画があったので、それを検索したらあったので見た。これがいい感じで、ひさしぶりにちゃんとした、というかなにかを考えて文章を書いた。大学生の頃はもう少しコンテンツについて話すことができたのだけど、僕はアルジャーノンに花束をのチャーリィのように頭が悪くなっている気がするので、 うまく書けているのか分からないのですが、書いててなにか懐かしい気持ちになったので、こちらにも載せます。

 

 

 

天使のくれた時間 (字幕版)

天使のくれた時間 (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

「天使のくれた時間」(2000)

監督:ブレット・ラトナー

主演:ニコラス・ケイジ

        ティア・レオーニ

 

ギャルゲ脳の人間が見ると、ふたつのルートを経てフラグが立ってトゥルールート解放、という流れに整理される。もしもあのときこうしてたら……という映画はいろいろあるけどパッと思いつくのは「スライディングドア」で、あれは電車に駆け込み乗車するかしないかというたった一つの決断で人生が全く違ってしまうという映画だった。それも面白いんだけど、でも僕があの映画に納得いってなかったのはそうだ、トゥルールートがなかったからなんだな。とか言ってみたけど、普通に考えて、ifとifの間には優劣なんてものはなくて、それぞれの人生が平行して走っているにすぎない。こちらの人生よりあちらの人生がいいだなんて、第三の審級に決められるもんではない。劇中、車の中でケイトが「最高の人生」って言ってたように。にもかからずギャルゲーには「メインヒロイン」とか「トゥルールート」とかいう変なシステムが存在していて、それはほんとうの人生はゲームと違って一回きりしかないからという誰でも知ってる事実に基づいている。


とかなんか「キリッ」みたいに書いてみたけど、具体的にいうと、13年後にもう一度やり直すっていうのが良かったと思った。もしあのときロンドンから戻っていれば……でロンドンから戻りました、めでたしめでたしではなくて、ロンドンから戻ったルートを経て、そしてもう1度、ロンドンから戻らなかったルートを経由して人生を再選択するという、そこにギャルゲ的極地がある。一言で言えば「なかったことにしてはいけない」。それをこういうふうに大人の映画で描くことができるんだなあと感心したわけです。まあ今これを見直すとなるとマジカルニグロとかで批判の対象になるかもだけど……