研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

心の免疫力が下がってる

たとえば相手から来たメールに冷たい印象を感じて、もしかしてこの人怒ってるのかな、と思うことがある。

①怒らせてしまったのか

と思うこともあれば、

②なんで怒ってるのかわからない

ときもある。

①であれば自分を省みればよいのだが、②のときはもうわかんない。なにもかもわかんない。
たんにこの人は怖い人なんだ、ということで、しくしく泣くしかない。「言い方が怖いので変えてもらえませんか?」と相手を指摘するのもおかしいからね。

そういう、泣き寝入りやりとりがずっと続いている。

こういう時に、

①相手のメッセージの書き方が冷たいのが悪い

という方向と、

②淡々と事実を書いているだけのメッセージに怒っているとか解釈して勝手に傷つくのが悪い

という、ふたつの考え方があると思う。

僕の場合、まず①の方向に向かう。なんでこんな言い方するんだろう、もっと優しく言えばいいのに、こっちはそういう風にならないよう優しい言い方を心がけているのに……と思う。

そういう厄介HSP的な属性が過激化し、 他者へのマイクロアグレッション認定が全面化していった果てに「お気持ちヤクザ」的な存在が発生してしまうのだろう、と自分が怖くなる。

その帰結として、②でもそれって俺が過敏なだけで、勝手に傷ついているだけだよな、となる。フツーに言葉通り捉えられない。 ありもしない裏の意図を勝手に読み込む。そんな認知が歪みすぎている自分が悪い。

一旦は、相手を責めるのは筋違いだ、というところに着地する。のだが、それはそうとして、自分が相手の言葉で傷ついたという体験、というかまさにその傷は消えてない、癒えてないわけで、それにどうパッチを当てるのか、というところが今まさに悩んでいるところである。

 

ところで、傷つくと言っても、コンディションによってその深さは変わるような気がしている。今はけっこう忙しく、しかも単に忙しいのみならず、思うように運ばない、拡張的に言えば「トラブル」が起きており、かつプライベートでも、家でゆっくり在宅勤務をしようにも引っ越したばかりでネット回線が開通できていないなどといった困難も起きていて、とにかく擦り切れている。そういう、心の免疫が低下した状態だから、たぶん、言葉ひとつが「ちくちく」を超えて「とげとげ」になり、「ぐさぐさ」となったりするんだろう。傷がふさがらないんだろう。

それも含めて、さっき言ったように相手の問題ではなくこちらの受け取り方の問題だということもできる。

しかしあんまりこちらの問題だと言いすぎると、過度に自責することになってしまう。①他責でもなく、②自責でもなく、その間でテキトーに放り投げる。環境のせいにする? 天命とかのせいにする? こういうときにレジリエンスとかネガティブ・ケイパビリティみたいなのを参照すればピッタリハマるような直観があるのだが、同時に、既製の、「市販」の概念で解決したくない、という謎の意地がある。