うる星やつらのことを何も知らないのに、うる星やつら2ビューティフル・ドリーマー(以下BD)を見ました。ラムちゃん可愛かったッス。
という感想で終わらせてしまってはイカン。散々言われてるようにすごく監督のメッセージ性の強い作品だと感じました。
僕は原作を読んだことはないのですが、うる星漫画は季節はうつろいゆくけれども年はとらないっていう、いわゆるサザエさん方式の設定らしいですね。つまり原作においてうる星のキャラクター達は特定の1年間を無自覚にループし続けているわけです。
BDはそれを見事なまでに崩壊させたんですよね。さくら先生を始めとして、登場人物たち(とりわけ主人公のあたる)は永遠の夢の世界をループしていることを自覚するわけです。最終的に夢の世界を脱出するわけですが、
その脱出した先の世界でさえも夢の世界かもしれない、という解釈が許容されるエンディングになっているんですよね。*1
これは漫画の世界に生きている彼らがある意味でメタを自覚するということを示していて、それゆえに原作者の高橋留美子はBDに批判的なのかもしれませんね。
ところで、僕はBDを見てもなんだかどこかでみたことあるなあという乾いた感想を持ちました。
批判を恐れずに言うと、まどマギやその他のループもので若干食傷気味な設定だなと思いました。
ここで考えたのが、ループものの系譜です。ウィキによればアニメ・漫画で初めてループという世界構造を採用したのが押井守のBDなんだそうです。
つまりBDこそがすべての原点であり先駆けなんですね。まどマギもそれの追随にすぎないわけです。
しかし僕のような青いオタクっていうのはBDとかを知らずにまどマギに傾倒していて、BDを見てもある種の物足りなさを感じたりするわけです。しかしそれは完璧に僕達の無教養に起因していると思うのです。
そんな悲しいことを考えた夏休みの1日でした。
*1:インセプションも似たようなエンディングでしたね。もしかしてノーラン監督はビューティフル・ドリーマーを観たことが……?!