あっ、すげー。天才だ。と思ったので感想を書く(ネタバレあり)。
タツキ先生大好き!
チェンソーマンを読んだのはたぶん1か月ぐらい前のことである。そもそも僕はあんまりマンガを読まないのだが、たまたま職場で女子大生に『ファイアパンチ』を薦められ、読んだら衝撃を受けた。藤本タツキは天才だと思った。タツキ先生大好き!
で、チェンソーマンを読んだのだが、2巻まで読んであまりおもしろさが分からなかった。1話は面白かったけど、そのあとダラーっとしてて、主人公も頭悪いし何を大事にして生きているのかわからない。
そういうわけで微妙だなーと女子大生に話したら、いや読んでくうちにどういう展開になっていくのかわからなくていいのだ、と言うので続きを読んでみたらすごかった。やっぱりタツキ先生大好き! で、2020年は9巻まで読んだのだが、2021年1月4日、その続きの10巻が発売された。
書店に寄る暇のない多忙なビジネスパーソンゆえ、キンドルで購入。帰りの電車内で読んで……ぶっとびすぎてビビった。まず、やっぱりアキは殺されたんだな。それを確認する。それにしても「俺は雪合戦じゃなくてキャッチボールがしたかったんだ」ってセリフは本当に染み入った。なんかこの作品を象徴してるようなセリフだよね。デンジも手がチェンソーになってるしさ。傷つける以外に触れ合う方法がない、みたいなことを暗示してるようなさ……
で、パワーも死んだ。あんなにあっさり……ひどい。「アイス買ってくるけどなんか要る?」「肉系のおにぎり!」……かわいかったのに。八重歯萌えだったのに。
シュールな笑い
で、そのあとのネオ・チェンソーマンがすごい。やっぱりキャラデザがすごい。1話でチェンソーマンに変身したページの興奮、その後サムライソードマンが現れたときの興奮。それを超える圧倒的に「カッコイイ」キャラデザ。ホット・アンド・クール。ダークかつヒーロー。
かと思いきやハンバーガーショップからのデートという謎進行が始まり読者の混乱は頂点に達する。ああ、ファイアパンチにもこういう回あったなあ。バクマンのサイコー&シュージンの言葉を借りれば「シュールな笑い」。この笑いを生み出せる人はそれだけで才能があると感じてしまうよね。コベニがすっころぶところとか最高だし、そのあとまたすっころぶところはさらに最高だ。そのたびに首が飛んでいくわけだが。
で、そのあとは歴代中ボスが一気にきて、そしてズタズタにしていく。すげー。なんかわかんないけど絵がすごい。もうここまでくると脳も停止してすげーしか言えなくなる。心臓を投げて体再生! ってそれ、ファイアパンチの時から戦略同じだな。
映画みたいなマンガ(とくにタランティーノ)
タツキ先生の漫画はタランティーノっぽい。「このマンガがすごい!」のインタビューか何かでタランティーノ好きって言ってたけど。あと何巻か忘れたけど、袖折り返しの著者コメントのところでタランティーノの何かの映画のタイトルを挙げて「大好き!」って言ってたけど。
ゴア描写が多いっていうのもそうなんだけど、10巻のエピソードで言うと、たとえば敵(おそらく最終的には敵になるであろう人物)の家に行ったらたくさん犬を飼ってたという、それ自体は普通のことでも、これまでの文脈踏まえて見るとこいつがサイコであることをこの上なく象徴してるっていう、その「ほのめかし」の表現にめっちゃタランティーノみを感じる。うん。
奥浩哉(『GANTS』)とタツキ先生はバイブスが近い説
ファイアパンチ読んだときに思ったことだけど、タツキ先生、奥浩哉とバイブスが近い感じがする。キャラがバンバン死んでいくのもそう。割とセックスとかのワードが出てくるのもそう。強すぎる敵の出現による絶望感の表現も両者ともうまい(闇の悪魔とか、大阪編のぬらりひょんっぽい)。シュールな笑いがあるというのも共通している(ガンツはそこまで狙いすまして笑わそうとはしてないが)。
でもなによりも僕が感じたのはコマ割りというか、絵作りの手法だ。奥浩哉も藤本タツキも、個々のコマは限りなく静止しているように見える。もちろんすべてのマンガは静止画だ。しかしマンガには効果線を引くとかして、一コマのなかに「時間」を挿入する技術がある。で、奥浩哉もタツキ先生も、一コマのなかの動きが少なくて静止画っぽく見える。アメコミっぽいというか。
にかかわらず、両先生のマンガは、「シャッターを切る瞬間」が巧みすぎるため、コマとコマの間に無限の映像情報が挟まっている(ように見える)。たとえば今回の10巻ではさっきも言ったように首を切るシーンが多いが、たいてい首を切るシーンそのものは描かれず、たんに切断されて吹っ飛んだ首が描かれたコマが突然挿入される。
これがものすごく奇妙な、でもものすごく豊かな読書体験をもたらしている。コマとコマの間は読者が想像しなきゃいけないんだけど、前後のコマの表現が「完璧」なので、いともたやすく想像できてしまう。結果、「普通に絵で描かれる」よりも映像喚起力が飛躍的に向上する。「これ、アニメ化したら良さが失われちゃんじゃないか」と思ってしまうほどの……「マンガだからこその良さ」。
映画がテレビよりフレームレートを落とす理由
ここから先は(いやこれまでもだが)放言、駄話の極みなのだが、なんだろうな、映画(24fps)がテレビ(30fps)よりもフレームレートを落とすことによってむしろリアリティが増してるのと似てる気がするんだよな。映画は昔からの業界の慣習や機材的制約、すなわち「規格の問題」により、一秒間に24フレームが高速で流れる方式で上映される。他方、テレビは通常、一秒間に30フレームで放送される。
単純に情報量の多さで言えばテレビの方が優れている。近年では大容量転送技術やらなにやらが発達し、テレビの倍の情報量の60fpsの動画も珍しくない(ある程度活躍しているYoutuberはいまや60fpsで動画をアップロードしている)。
にもかかわらず、映画は24fpsのままだ。というか、24fpsのままのほうがいい。どういうことか。
それは見比べてみればすぐにわかる。30fpsの動画は、「なんかチャチ」なのだ。トム・クルーズは「安っぽい」と言っている。
トム・クルーズ「映画を観るならTVのフレーム補間をオフに」と呼掛け。理由は「映像が安っぽくなるから」 - Engadget 日本版
24fpsだとカッコよく見える理由を心理学的に求めた研究というのは知らない(調べてないので)。だがたぶん、それは、「もともと映画は24fpsだったので24fpsだと感動的でシネマティックな感じがして、テレビは30fpsなので30fpsの映像は居間でカウチポテトして見る映画っぽく感じる」というだけなのだろう。フレームレートが落ちる=映像がカッコよく感動的になる、というのは、パブロフの犬効果以外になにか説明がつけられるのだろうか? そこらへんの研究があったらぜひ読みたい。
で、そのうえで奥浩哉及びタツキ先生である。彼らのマンガはフレームレートが低い。コマとコマの間が比較的長い。そこに読者が想像する余地がある。すべてを描かないからこそカッコイイ。コマとコマの間の余白こそが、奥浩哉とタツキ先生の真骨頂なのだ。
そこで疑問が生じる。テレビは通常30fpsといったが、テレビなのに30fpsでないものも存在する。それがテレビアニメだ。そう、アニメは一秒間に24枚の絵を流すことでアニメになっているのだという。これはなにを意味するのか。マンガ、映画、アニメ……
楽しみだなあああああ!??