今話題の『聲の形』を読みました。
- 作者: 大今良時
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2013/11/15
- メディア: コミック
- この商品を含むブログ (6件) を見る
マガジンで読切が掲載された時、ネットで話題になってましたね。あの時の「連載しろ」という声がいつの間にか形になってたみたいですね。
単行本が発売されているのを知ったのは、荻上チキ・session22のPodcast*1を通学途中に聞いたからです。授業が終わり、帰りに生協に行ったら、ありましたよ。平積みされている様子だったのですが、なんと残り1冊で、僕が手にとると棚から『聲の形』は消えました。
さて内容なんですが、上記のラジオでも触れられてたように、いじめの「エスカレーション」を良く描いているんですよね。
いじめを扱った物語というのは、しばしば何かきっかけがあり、それ以降は「いじめる/いじめられる」の構図が完成している、という感じなのですが、この作品は、確かなきっかけはないけれど段階的にいじめられていく、その様子が生々しいなあと。
象徴的なのが担任の先生ですよね。いじめっ子を何度も職員室に呼び出して叱るんですけど、最終的には「でも まあお前の気持ちはわかるよ」と言い、いじめに加担しちゃっています。これはたいへんたいへんなことです。
生々しいといえば、いじめっ子がこんなことを(心の声で)言ってるシーンがありました。
「ーー興味が湧いた このまま続けたら あいつがこの先 どうなるかー…」
いじめっ子の心理ってこの言葉に代表されているなあ、と……*2
しかし生々しさのなかにも一抹の不自然さを感じたりもしました。
たとえば、補聴器を躊躇いなくぶっ壊したりするという話。小学6年生なんだから「それをやっちゃあおしめえよ」という、超えちゃいけないラインぐらい分かるんじゃないんですかね。
あとはショウコが優しすぎる(いじめられ続けているにもかかわらず、ショウヤに対して優しい)という話。これは僕が感じた疑問じゃないんですけど、ここがリアリティに欠けると指摘するひとも多いようです。
これについて、ラジオではこのように言っていました。つまり、いじめてるやつに対して優しくするのは、一種の防衛策なのだと。いじめられるのが嫌なために、土下座して謝罪でもなんでもするからやめてほしいという感情が、あの優しさに現れているのではないかと。確かにそうかもしれません。
でも僕はハッキリ言って、「ショウコは何をされても優しくなれる女神のような存在だ」それでいいんじゃないか、と思ったりもするんですよね、彼女の笑顔を見ていると(何)。
まあそう思うのもマンガではショウコが可愛く描かれているから、と考えると、現実とのギャップを突きつけられるような気もしますが*3。
しかし、結局いじめっ子は中高でぼっちになっちゃってかわいそうですな。
なんか結局こんな感想で終わっちゃいましたけど……
続刊がとても楽しみです。
*1:荻上チキ・Session-22チキチキ道場2013年11月15日(金)『チキチキ道場・特別編』 http://www.tbsradio.jp/ss954/2013/11/20131115-2.html @Session_22さんから
*2:あー、なんか嫌な記憶が蘇ってくる……
*3:小中学生の時、もちろんいじめはありましたが、いじめられる理由というのは本当にわけわからんですね。この作品みたいにコミュニケーションの取れないひとがいじめられるのかといえば、そうでもないし。顔がキモいひとがいじめられるのかといえば、そうでもないし。「標的は誰でも良かった」的な話ってよく聞きますけど(それって僕は懐疑的だったんですけど)、本当かもなあと思ってきました。