英語の授業なんですけど、ぶっちゃけ語学なんてどうでもいいやとか思ってシラバスの結構緩そうな授業を取ったら、それが履修者の半分が体育会とかいう超ヘヴィなクラスで後悔してます。
なにが嫌かって言うと、ちょっと彼らがレベルが違いすぎて、授業を受けているとどんどん頭が悪くなっていきそう。彼らはスポーツをするために大学に入ったわけで、英語の勉強をするために大学に入ったわけではないんです。それに入試も、僕と同じ英語の試験を解いたわけでもない。
そりゃあ簡単に授業が進むこともないですよ。っていうかテキストのレベルもめっちゃ低いし、文量も少ないんだけど、それでも結構じっくりやるんですね。先生も生徒のレベルに応じてやってますよ。生徒っていうのは僕のことではないみたいですけど。
いや、僕は体育会の彼らをバカにしているわけではないんですよ。"high"を「ひぐふぇ……」って頑張って発音してた女の子とかめっちゃ可愛かったし。しかしそれと同時におもいっきりバカにしてたのも事実ですが。
そうじゃなくて、やはり少人数授業くらい彼らと「僕ら」はセパレートしたほうがいいでしょうと。学部のエライさんは、体育会専用の語学コースを設立したほうがいいですよ。
でもそうしない理由も分かる気がするんですよ。だって中学生程度の英語力もないんですよ? そんな彼らが30人も集まったりしたら、先生が途方に暮れるのが目に浮かぶじゃないですか。
そうくると、今度は僕はなぜ「彼ら」は僕らとともに授業を受けているんだろう? とか考え始めてしまうわけです。なぜスポーツ推薦で大学に入学して、授業もそこそこに練習ばかりしているのか?
彼らの側の気持ちはわかりますよ。大学に入学したいという気持ちは。そうじゃなくて、なぜ大学側が「体育会」という異なる位相を作るのかという話です。
まあ答えは単純で、第二第三の長友佑都を輩出したいからってことなんでしょうが、しかしその資本主義的動機が、一般生徒である僕の学業を阻害しているということも考えてほしいと思っています。
そこでこの問題提起は「先生が30名の体育会に手を焼く」問題にループする……
This story is not an end yet.
Because only I am in the infinity loop...