さっき家で飯食いながらテレビを見ていたらドッキリ企画をやっていた。仕掛けられたアニマル浜口が「気合だーwww気合だーwww」と絶叫しながら驚いていた。左下のワイプにはその映像を見て笑う芸能人が映っていた。たいへんやらせくさかった。
ところで昨日北田暁大の『嗤う日本の「ナショナリズム」』を読んだのだが、この本はテレビの話にけっこう紙幅が割かれていて、そこでは「ギョーカイ」のお約束を破ってしまう素人出演者を嗤う「消費社会的アイロニズム」や、もはやなんでもテレビによってネタ化されてしまうテレビ自体を嗤う「消費社会的シニシズム」、そしてなにも信じられなくなった世界であえてロマンを追い求めるフリをする「ロマン主義的シニシズム」などが提示されていた。ちなみに消費社会的シニシズムにおいてはテレビをアイロニカルに嗤う人を更にアイロニカルに嗤う人がいて、それをさらに嗤う人が……というアイロニー・ゲームの概念が基底にある。そしてリオタールのいう大きな物語の失効や大澤真幸のいう第三者の審級を失ったポストモダンにおいて視聴者=ちゃねらーはロマン(電車男など)という否定神学システムに辿り着いたというわけである。
ネットの普及以来、テレビはネットにネタを備給するだけの存在になっているという。消費社会的シニシズムにおいては、メタレヴェルをたえずオブジェクトレヴェル(ネタ)に変えていくという無限の作業が行われる。ネットで何かネタが投下されると、それに賛成の奴と反対の奴、「賛成(あるいは反対)の奴はネタで言ってんだろ」という奴、「ネタで言ってんだろとか言ってる奴は釣りだよな?」という奴、そして「ネタとか釣りとかまじどうでもいいわ何もかもが乙」という奴の5パターンぐらいは瞬時に現れる。
その観点に照らしてみると、上のドッキリ企画の番組はやっぱりまだアイロニー・ゲームを突破できずにいるなと思う。あのバラエティ番組の出演者は、ドッキリが本当に成功したとは思ってないのだろうけど、仕事だから本当に成功したと思っているフリをしてワイプに映り、テレビはそれがフリであることも織り込み済みで放送し、視聴者は嗤う。2ちゃんではつながりの社会性が上昇していく。これではシニシズムのままだ。
だからテレビはロマンを備給すればいいんだとおもう。となるとやはり嫌韓か…(違う
ところで本の中で雨宮処凛が引用されていたのだが、そこでは「信じられるのは自分が燃えられるかどうかだけ」という言葉があった。右翼をやって左翼になった彼女らしい言葉だと思う。ただそれは分かるのだが、だからといって日本中が嫌韓とかに向いてはいけないわけで、それゆえロマンに代わる、本当に信じられるなにかを調達しなければならないという筆者や宮台真司の問題意識には敬服します。
この本は東浩紀の選ぶ20冊というページで知ったのだが、東浩紀がこの本を選んだのがよく分かった。メタをたえずオブジェクトにしていくということの不能性みたいなものは最近読んだ『存在論的、郵便的』にも書いてあったし、信じるものを失った世界で人々が何にすがって消費活動を続けるのかというのは『動物化するポストモダン』のテーマだし、つくづく東さんは一貫している、とも思った本であった。
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