研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

土日に休むことに罪悪感を抱く必要などまったくない

 土曜日は、ずっと家でぐったりしていた。昨日、金曜の夜は終電すぎまで飲んでいた。楽しかった。11時半ごろ、満を持してベッドから降り、近所の寿司屋に海鮮丼を買いに行った。お腹が空いていたので特盛にしてみた。

 Netflixの「ちひろさん」をラスト10分前のところで3週間ほど放置していたので、それを見ながら食べた。特盛にする必要はない、と思った。エンガワの脂が少しくどく感じた。

 高瀬隼子『いい子のあくび』を読み終えた。3番目の短編「末永い幸せ」は、結婚式の古典的ジェンダー観を嫌う主人公が友達の結婚式への出席を断るのだが、当日、式場となっているホテルに宿泊し、自分の部屋から式の様子を覗くという話。

 結婚式の、たとえば新婦が父によって新郎に「引き渡される」ようなパフォームは、まさに女性が「相手方の家に嫁ぐ」という従属関係をロールプレイしていて、たしかに僕も初めて見た時は、すこし、というかそれなりに違和感をもった。

 小説では、違和感をもつだけで終わりじゃない。その文化を忌避しながらも結婚式の様子が気になる主人公は、友人に内緒でホテルを取る。そのことを、ずっと、死ぬまで友人に内緒にし続けるのだろうか、と考えるシーンがある。その行為に及んだこととか、その後隠し事をし続けることの罪悪感とかが描写されている。

 芥川賞の『おいしいごはんが食べられますように』もそうだが、人間感情の、目を背けたくなるような、自己嫌悪したくなる部分を観察するのがうまいなと思う。

 

 日曜日。

 朝、昨日買ったあきたこまちの新米を炊きながら読書。昨日から新書4点を少しずつローテーションしながら読み進めている。

 一冊をずっと読むよりも、ちょっと飽きたら別の本を読む、というふうにザッピングすると、読書への関心が持続する。「栞をはさむ」のを頻繁にやる。これはたぶん仕事にも通じるtipsだ。同じ作業を続けていると、生産性が逓減する。合間にべつのタスクを挟むと、意外とスピードが持続する。「息抜きにべつの仕事をする」ということだ。

 対談本とインタビュー本なので、どれも雑誌の記事のように読みやすい。今日1日で4冊いずれも半分ぐらい読めた。

神奈川県の川崎を見物

 夕方になり、外に出たい衝動が沸いた。というのも、昨日から、川崎の物件を見ていたのだが、8万円でなかなか好条件のものがいくつかあるのだ。引っ越すのもありなのでは、と思った。しかし川崎のことはラゾーナしか知らない。どんな街なのだろう。気になって、行くことにした。

 で、行ってみるとなかなかよい街だった。駅ビルがでかいのは知っていた。西はラゾーナに直結、東側にはアトレがある。東側を歩いてみた。誘惑の多い飲み屋街、商店街。京急川崎駅の近くにもユニクロや無印、ツタヤなどが入っている商業施設がある。とにかく飲食店が多い。チェーン店も多くて、それゆえにオリジナリティのないフェイクシティとののしる人もいるのかもしれないが(そういう人を一人知っている)、それよりも活気があって便利で住みやすいな、と素直に思う。

 スーモで見た物件のあるところにも行ってみた。近くにまいばすやコンビニもある。さらに北東に行くと、多摩川に巨大な橋・六郷橋がかかっている。向こうに渡ると、東京都大田区になる。そこから遠くの鉄橋をみると、東海道線がガタンゴトンと音を立てて走っていくのが見える。その両側にはマンションがあり、各階の各部屋で慎ましい光を灯している。

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 空を見上げると満月がまばゆい光を放って浮かんでいた。真っ暗な闇とのコントラストが有機ELディスプレイのように綺麗だった。でも実際には有機ELの画像にも表現できないような無段階階調で光っている。iPhoneよりも高解像度の夜景……とかいうとデジタルネイティブを気取りすぎか。

 こんな景色を、新橋から東海道線でたったの15分で見れる。すばらしい立地。

 なによりアトレに有隣堂があるのがいい。平日は夜22時半まで営業している。情報収集に大きなアドバンテージになる。帰りに寄ったら、けっこう大きな面積で、カフェも併設されていて、でも日曜の夜は空いており、ここで過ごしたいなと思った。

 往復の電車で『20歳の自分に受けさせたい文章講義』(星海社新書)を読み終えた。文章術の本ってあんまり読んだことがなかったけれど、仕事に通じるものを得ることができた。

 帰宅して、豚バラ大根をつくって食べた。排水溝のネットを交換すると、ちょうどネットのストックがなくなってしまった。スーパーに行き、昨日買いそびれた歯ブラシや、ちょうどトイレ掃除をした時に切れた洗剤などを買った。ついでに、かねてから必要性を感じていたフライパンのフタも買った。豚バラ大根を作るときも必要だったがアルミホイルで代用していた。サイズが足りなくて、まったくフタの役目を果たせていなかった。

 切らしていた生活用品を一気に購入することで、各所で最後の1ピースが一気に埋まったような爽快感があった。ビンゴシートの一番中央の穴が空いて、いろんな列でビンゴが「成った」ような感覚だった。

 そんなくだらないことを書いていたらもう0時がすぎている。仕事のために読もうと思っていた原稿や書類はまったく手がつけられていない。明日頑張ってやるしかない。しかしそもそも昨日今日は土日なんだから、堂々と休めばよい。そこに罪悪感を抱く必要などまったくないはずだ。