「最近つらいことがあったって聞いたけど。何かあった?」
「はい。もう最近めちゃくちゃなんです。めちゃくちゃに怒られてるんです」
「うん」
「先週ですが、月曜日から大変な目に会いました。メールのことで怒られたんです。メールの書き方ですね。怒られたのは隣の課の人からです。その人はいつもいつも僕に怒るんです。目をつけられているというか。別に理不尽なお叱りではないんですよ。怒られたことには理由がある。だから怒られるのも分かるし、怒られたことは直すべきだし、直すことが成長になるともわかるんです。いつもいつもそう思っています。でも、今回はかなり叱られた。一番傷ついた。傷つく、というといささか被害者じみた言い方ですが、それが正直な感想です。精神的に参ってしまった、というべきかな。
まあ怒られた内容は2つあって、一つはメールの頭には必ず○○様ってつけなさいということ。端折ってしまったんですよね。いきなり要件から入った。もう一つは、お礼と言うか、相手をいたわる言葉がなかった。感謝の気持ちがないということでした。僕はその人にある仕事のお願いのメールをして、それをやってもらうことになった。そのやってもらうことの注意事項についてのメールにお叱りをいただいたんですね。で、僕が送った注意事項のメールに、相手をいたわる言葉がなかった。相手は忙しいなか僕の頼んだ仕事をやっていただいているのに、お忙しいなかありがとうございます、みたいな言葉がなかった。それで怒られた。まったくその通りなんですよね。全面的に僕が悪いと思う。しかし……ああ、しかし、だなんて変ですね。反論するわけではないんです。全面的に僕が悪いという結論は変わりません。ただ、この話で僕はすごく精神的に参ってしまった。
その日、その相手、まあOさんとしましょう、Oさんに僕は別件でもう一度怒られました。その日のうちに。それもまあメールのことで、仕事のお願いのメールだったんですよね。で、僕が怒られた理由を一言でいうと気軽に仕事のお願いしすぎだろと。別の部署から来たのをウチの課にそのまま流すなと。ウチとそっちの間に立つのが君の仕事なんだから、ちゃんとスクリーニングしろと。うまく言えないんですけど、要は忙しいんだからめんどくさい仕事を送ってくるなということなんですよね。
そういうとなんだか向こうが悪いような言い方ですが、そういうわけではないんですよ。理由は2つあって、一つは僕の仕事の頼み方、振り方が全然ダメだったから。これは詳しく指摘されまして、まあ細かいことは省きますが、要は僕の側である程度問題を整理して、簡略化して投げる必要があったんですよね。生のデータを丸投げして考えさせるよりは、こっちで選択肢を3つぐらいに絞って、僕はこの3つのうちこれがいいと思うんですが、お願いしてもよろしいでしょうか? っていう、イエスorノーの形で投げるべきだったんですよね。そのぐらいこちらで形式を整えてからお伺いを立てるべきだった。
もう一つの怒られた理由は、僕がお願いした仕事っていうのが、それほど大きな仕事ではなかったっていうことです。つまり、Oさんの部署は僕の担当している商品以外にいろんな商品の営業をやっている。僕が担当しているのなんて小さな規模の商品ですよ。予算もそれほどかかってない。それ以外の売れ筋の商品を営業の人……Oさんたちは担当している。そのようななか、比較的売れていない僕の担当商品を、忙しい中、営業の人にお願いした。それもやはり、お忙しいなかお手数をおかけし申し訳ありません、みたいな文言もないメールで。そういうことで怒られました。で、それがその日2回目のお叱りで、Oさんも愛想を尽かしたのか、僕にこういうことを言ったんです。会社入ってもう1年経とうとしてるんでしょ。信じられないというか、何を学んできたの……と。
僕はそれでもう、なんかダメだなと思ったんです。たしかにそうなんですよ。僕はこの1年で何を学んできたんだろうかと。たまたまOさんがこういうふうに細かいメールの作法について怒ってくれたからいいけれど、いままで僕はわりと無礼なメールを方方に送っていたんだ、と思うと、たいへんつらい気持ちになるんです。いままで打ってきた一手一手がすべて間違っていたんじゃないか、と終局間際になって気づいたような。そして来年からは後輩が新入社員として入ってくる。俺はもうだめなんじゃないかと思ったんですよね。その月曜日の夜は本当に気持ちが荒んでいました。缶ビールの500と350を買って、500を飲み干しました。で、350を一口二口飲んだところで意識が途切れて、ソファで寝ていました。気づいたら夜の2時半で、布団に戻って寝ました。
最低な気持ちで目覚めたんですが、火曜日にOさんに昨日のことで追加のお叱りを受けたんですね。それは昨日言われたことを抽象化して再度注意するような内容で、一言で言うと「相手のことを考えろ」、「共感力が足りない」ということでした。僕はそれに対して次のようなことを思いました。相手のことを考えるというのは仕事においてとても大切なことだと思う。忙しい相手をいたわる言葉。社内のメールの冒頭には必ず「お疲れさまです。」とつける。本心ではまったく「お疲れ様」などとは思っていない。が、定型化している。だからそれと同じような気持ちで、「お忙しいなかお手数をおかけし申し訳ありません。なにとぞよろしくお願いいいたします」とつければいいだけだ。本当に心のそこから思う必要はない。ただ癖として、メールの時も、直接話す時も、相手のことを労る言葉を言う。そういう癖をつける。それでいい。とは、Oさんに先週言われたことだ。あれ、僕、先週言われたことを実践できてなくて、月曜日に怒られたっていうことですね……やっぱり全然ダメですね。
まあ全然ダメなんですが、それから「共感力が足りない」ということに僕はとても疑義を抱いたんです。共感とは何か。それって、勉強することで身につくものなのか。本とか読めば身につくんですか、と。身につかないと思うんですよね。だからそれってどうすればいいんだろうと思ったんです。先程Oさんから言われたことというのは、僕なりに解釈すれば、思考はいいから行為はちゃんとしろということだと思うんです。相手のことを考えているということが伝わるように行為しろと。つまり、思考のレベルと行為のレベルがあって、人は人の思考のレベルに干渉することはできないし、思考のレベルを読み解くことはできない。けれどもそれは逆に言えば、人は人の行為のみを受容するということなんですよね。だから行為さえちゃんとしておけば、人は「ちゃんとしてるなあ」と思ってくれる。そういうことだと思ってたんです。
しかし共感とはなにか。それって考えてできることなのか。むしろ、考えてもできるようにはならないことなのではないか。それって、どうすればできるようになるのか。そういうことを考えたんですよね。そしていままさに僕が「考えたんですよね」といったことから分かるように、考えてもわからないこと、理解できないことだと思うんですよね。共感というのは。最近はそういうことを考えています」
「そうなんだ。それは大変だったね」
「大変だったのはむしろその後でしたけどね。その後もほぼ毎日何かを失敗して注意されていましたし。あとは面と向かって怒られたわけではないのに、人から返信されたメールの雰囲気をみて「もしかしてこの人怒ってるのかな。僕のメールの書き方がどこか間違っていただろうか」と怖くなったりしました。被害妄想ですね。まあそれから、やっぱり僕自身こういう性格で、声も小さいし自信なさげだしきっぱり喋らない、どうも頼りないやつで、まあ、そのせいもあり仕事でミスをする。で、怒られて自信を喪失する。それがさらなる叱責を呼び寄せるんですよね。なんか、最近はスランプです。ここ1ヶ月、本当に仕事がつらい。奇しくもこの傾向は一人暮らしを始めてから始まったように思います。人のいる家に帰るというのが、ある程度のリフレッシュになっていたんですかね」
「そう」
「僕はなんとなくですが、学生の頃、自分は仕事ができるんだと思っていたんです。本も読んできたし。インターンで現場を学んだりもした。学生時代はコミュ障で人見知りで友達も少ない、暗いやつだけど、仕事をやらせてみると実直で堅実な成果を残し、それなりに社会人としてうまくやっていく。学生時代ウェイやってたやつらよりもいい人生を送っていく、そう思っていましした。けれども現実は、やっぱり学生時代から人間関係ちゃんとしてたやつは仕事の人間関係も円滑に維持することができ、他方、僕みたいなやつは会社で孤立する。そういうことだったんです。社会は学校の延長線上に存在していました。学生時代ダメだったやつが社会で輝くなんて、そうそうないんです。基礎的なコミュ力がなってないやつは、それがたとえ仕事のため金のため名誉のためだったとしてもだめなんです。だめだったんです。
最近は、そもそも「仕事ができる」とはなんなのだろうと考えています。たとえば僕は職場でよく、「売るためのアイデアを考えよう」と周りの人から言われます。売るためのアイデア。企画。それって学校で習ってないですよ。習いました?」
「ううん」
「ですよね。習ってませんよね。ああ、こういうことをいう僕に対して皆さんが考えることはよくわかります。「会社は学校じゃねえんだよ」ということですよね。お勉強だけしてればいいわけじゃないんだよ社会は、ということですよね。答えがあるテストじゃないんだよ、と。分かります。もちろん売るためのアイデアに答えなんかない。したがって教科書も存在しない。個々が考えるしかない。だから教えようもない。しかしそんなものを新人に求めてどうするんだとも思います。僕は別にマーケティングの勉強とかしたことない。マーケティングの勉強した方がいいよ、と上司に言われたこともない。にもかかわらず、売るためのアイデアを出せってどういうことだ。
ああ、こういうことをいうと無気力な新人と言われるんだろうな。しかし無理なもんは無理だろう。売るためのアイデアったって。そんなの物を売ってきていろんな経験をした人の方が出せるに決まってるだろう。もしかしたら上の人達は新人のフレッシュで革新的なアイデアみたいなものを期待しているのか? 勘弁してくれ。僕はマーケティングのなんたるかすらわかってないんだ。そこで出てくるアイデアなんて、テレビCM打つとかだよ。でもそれは予算的に無理でしょう? そういうことですよ。ゼロからイチを生み出せったって、そこらの凡人大卒新人にはむりだ。
それからもしかしたら、僕がさっきからマーケティングと言う言葉をつかっていることになにか引っかかりを感じられるお方もいらっしゃるかもしれない。これは僕が、勉強が必要だと感じているからだ。マーケティングの勉強が。といっても本屋で売ってるマーケティングの本を読むということじゃないよ。僕が言っているのは、この会社の営業戦略にどういうことがあって、どういう試みが過去あり、それがどのような結果になったかという一連のマーケティング活動に関する勉強だ。そういうのがないとどうも考えられない。……ああでもそれは勉強すればいいのか。共有フォルダにある同僚のフォルダを見るとかして。なーんかキモい勉強の仕方だなあ……
まあ何が言いたいかというと、僕は勉強が大事だと思うんですよ。言い換えれば、過去の歴史を知りたい。過去この会社が何をして、どういう結果になったのか。そういうのを全部知りたい。それを知った上で、僕なりの「新しい風」みたいなものがあるのであれば、吹かせればいいなと思うんですが。まあそれはいいんですが、僕が勉強に固執する理由は要は積み重ねの上に立ちたいからです。ニュートンだか誰だかが勉強のことを「巨人の肩に立つ」と言っていましたよね。過去のことを知ることによって、自分は過去の人の肩の高さからスタートすることができる。僕が高校2年生の時、化学の先生が言っていました。「君たちはアインシュタインも知らなかったことをこれから学ぶんだ」と。地球上の動物で唯一人類が文明を築けたのはなぜか。それは人類の偉大な、史上もっとも優れた発明があったからです。その発明こそが、文字を書き残し次の世代に知識と経験を継承すること、そして一部の人間の占有からそれを公に、パブリックにすること、すなわち出版だったんですよね」
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