研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

メンタルが悪い。が、それを自覚できるようになったのは成長の証だとも思う

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 ゴールデンウィークが終わり、彼女と別れ、それからもう2ヶ月が経とうとしている。自分のなかに空いた空洞を埋めようとした2ヶ月だった。秋田で酒を飲み、広島でコーヒーを飲んだ。スターバックスで日記を書き続けた。短歌をいくつも詠んだ。小説を読み、主人公に自分を重ね合わせた。

 部屋を掃除して、彼女が座った椅子を処分した。ベッドの位置を壁際から部屋の中央に少し移動した。朝、少し広くなった部屋で目覚めるたびに、彼女のことが思い起こされた。べつに思い起こしたわけじゃない。勝手に浮かんでくるんだ。

 そんな朝を50回ほど迎えるうちに、春の陽気は梅雨の湿った雲に侵され、太陽の熱線がいたずらに勢いを増していった。紫陽花が咲き、そして枯れた。

 さっき村上春樹の短編集『女のいない男たち』を読んだ。「木野」がとくによかった。傷つくべきときにその苦しみを回避し、心に真空地帯が生まれると、その痛みがあとになってやってくる。そうならないために、傷と正面から向き合わなければならない。たとえどれだけつらかったとしても。

 iPhoneのカメラロール。本棚に立て掛けたチェキ。記憶のなかの景色。彼女の輪郭は手を伸ばせばすぐに届く距離にある。しかしそれは実体を備えておらず、決して触ることができない。網膜に焼きついた、夏の太陽の影のように。

 彼女と交際を始めた時、『色彩を持たない田崎つくると彼の巡礼の年』の話をした。建築関連の仕事に携わり、故郷にいるかけがえのない友人と離れ離れになっている、その境遇が彼女と似ていたからだ。「私みたい」と彼女は言った。

 別れを告げられたあの夜、新橋から大手町にかけて皇居の内堀沿いを歩いていた時、『ノルウェイの森』の話をした。村上春樹の主人公たちは、何か大切なものの喪失に直面した時、旅に出てその感傷を引き受けようとーーあるいはそれから逃げようとーーする。一方、吉本ばなな『キッチン』のように、普段どおりの生活を淡々と続けることで、一定のリズムを保とうとする人もいる。メトロノームのように。

「私は後者のほう」。これは男女の違いかもしれないね、と俺が言ったのに対して、彼女はそう返した。いちいち予想どおりすぎる、と思った。

 会社に仲の良い後輩がいた。ゴールデンウィークに入る最後の日、2人でアイリッシュパブでビールを飲んだ。連休中に観たい映画の話などをした。

 しかし連休が明けてから、互いの仕事が忙しくなり、社内でも顔を合わせる機会が減っていった。たまに廊下ですれ違っても、俺は疲れ切った顔と声で会釈をすることしかできなかった。こないだ久しぶりに声をかけたが、相変わらず忙しそうにキーボードを叩き続けていた。もう2ヶ月以上も、飲みに行くことはおろか、一緒にコーヒーを飲むことすらしていない。

 あのゴールデンウィークを境にいろいろなことが変わってしまった。

 暗い夜の海を1人で泳ぎ切る。田崎つくるがやってのけたことを、俺もできるだろうか。茫漠とした不安が広がっている。水平線は見えないが、たんに暗いから見えないだけなのかもしれない。だから俺は朝を待っている。鳥たちがさえずりながら活動を始める朝を。だが朝が来ると、思い出のなかの彼女が、小さく喉を鳴らして俺に微笑みかける。まどろみのなか、温もりの手触りを探し求めるが、それはとっくに消えてなくなっている。だから僕は朝の日差しに目を閉ざすしかないのです。