研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

『ある行旅死亡人の物語』感想 俺が死んだら俺のことを覚えている人はいるのか?

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 土曜日は、洗濯をして、ベーコンとオクラのペペロンチーノを作って食べて、コンタクトをして渋谷に行った。やや曇っていてそんなに暑くはない日だった。公園通りのファミマで抹茶パフェを買い、店の前で食べた。無印でカレーを約4800円分買い込んだ。日比谷に行って、映画「リバー、流れないでよ」を観た。そこそこ面白いループものだった。

 建物を出ると20時すぎだった。ミッドタウン日比谷。石畳っぽい舗装路に、間接照明が足元を照らす。ビールや軽食を振る舞うフードトラックが3,4台停まっている。要するにオシャレな都会の夜だ。そこかしこのベンチや階段に薄着の人たちが座り込んでスマホを見たりビールを飲んだりしていた。

 地下鉄で帰って、ハイボールを飲みながら料理をして、「ブラッシュアップライフ」(これもループものだ)を見ながら食べた。

 日曜日は、朝、無印のカレーを食べた。辛くないジンジャーキーマカレー。

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 で、ジモティーを通じて人に家具を譲り、そのまま銀座へ。ユニクロでウルトラストレッチドライEXテーパードパンツを買う。で、帰る。日差しが照りつけてきて暑い。カルボナーラを作って食べる。シーツを洗濯して干す。いい天気だからすぐ乾くだろう。

 ノンフィクション書籍『ある行旅死亡人の物語』を読む。雀魂(麻雀のアプリ)をやる。昼寝する。起きて、シーツを取り込む。また雀魂をやる。こんなグータラしていてはだめだ。18時、近所のカフェに行って読書の続きをする。

 ぜんぶ一人でやっている。なにもかも。

 ちょうど1年前のことだろうか、俺が死んだら、俺が一人でやっている日々のあれこれを知っている人はこの世から一人もいなくなるのだということに気づき、恐怖したことがある。

 1年前といえば僕は27歳。仕事は部署を異動して少し経ったころで、プライベートではいまの家に引っ越して1年半ぐらい過ごしたころだ。そしてマッチングアプリを始めて1年ぐらい経ったころでもある。いろんな人に会っては道を閉ざされていた。それでも(というか、それゆえ)刹那的なセッションを繰り返すしかない状況がひたすらつらかった。

f:id:liefez:20230723214320j:imageこないだ旅行で行った広島

 では26歳のときに俺は何をしていたのか、25歳のときに何をしていたのか……思い出せない。思い出はそれを共に過ごした人との相互リンクによって保存されるのだとすれば、俺の大抵の行動履歴は誰にもハイパーリンクされておらず、そのためページランクが低くて検索しても上位に出てこない……みたいなことになるのかもしれない。I'm feeling bad.

 

初期衝動

 でもこのブログを遡れば、当時の自分が何を考え、何をしていたのか、少しはつかめるから面白い。残したい、忘れたくない。そういう動機で始めたはずだ、このブログは。

 その初期衝動は覚えている。

 10年前、大学1年のときにブログを始めた。たしかその頃、広島出身の祖父に原爆が落ちたときの話を聞いて、それを書いたはずだ。小さい頃によく足を運んだ祖父の仕事場に行って、インタビューした。べつに大学の課題とかでやったわけじゃない。やらなきゃいけない気がしただけだ。それから数年後に祖父は亡くなった。

 それでいま、人に話を聞いて書く仕事に就いているので感慨深い。

 きょう読んだ『ある行旅死亡人の物語』は、現金3400万円を残して死んだ身元不明の女性の来歴を追った記者による迫真のノンフィクション書籍だ。官報の記載から、弁護士を訪ね、彼女の生前の姿を知る人たちを取材していく。

 

 彼女が所持していた判子が珍しい名字だったことから、その親戚縁者の筋をたどる。ここから、彼女が広島で生まれ育ったことが判明する。広島での聞き込みだけでなく、遺品の写真から旅行先の宿の宿帳の履歴を尋ねたり、彼女の元職場で働いていた人をフェイスブックでサーチするなど、あらゆる線から面影を探っていく。

 ミステリー小説を読んでいるようだった。やっていることがほとんど探偵だ。

 彼女は人と交わらず、ただ一人、40年間、同じアパートで暮らしていた。筆者はそれを「真空のような孤独」と描写している。放火事件を起こしたり殺人事件を起こしたりする犯人の抱える社会的孤独とは性質の違うもののように感じる、とのことだ。

 そういう事件が報道されるたびに、俺もそういう犯人の素質というか、同じ「種」を抱えているような気がして怖くなる。自分もいつか、もしかしたら――と思うことがある。

 だから社会とつながりをもったほうがいい気がする。そうでなくても、誰か「つなぎ留めてくれる」人がいてほしいと思う。難しいんだけど。

 この本で筆者の2人はいろんな人に話を聞き込みをしている。「知らない」という人もいるが、なかには昔の記憶を頼りに証言してくれる人もいて、それらが次第に行旅死亡人の像を結んでくる。人によっては半世紀も前のことなのにもかかわらず、話してくれる。身元不明の死体として見つかった人の人生が、こうして紡がれるわけだ。覚えてくれている人がいる。

 そのことにちょっとした希望を覚えた。