研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

「悩みは早期に解決すべき」vs「悩んで内省を深めたい」

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 ハードな日々が続いている。プロジェクトが佳境に向かっていて、嫌でも会社の机に齧りつかないといけない。昼、外に食事をしに行ったり、コーヒー休憩をする時間もなかなかつくれない。そして、チームメンバーとの連携をスムーズに進めるため、別のフロアにパソコンを持っていったりせずに、所定の位置で仕事を進めることが推奨(というか、指示)されている。

 だから自分の机で仕事しながら食べたりするしかないのだが、僕はこれがすごく苦手なんですよね。職場は、前時代的な「島型対向式レイアウト」になっている。で、パーテーションとかもないので、向かいの人と顔を突き合わせる形になる。まあそれゆえにコミュニケーションを取りやすいという利点があるわけだが、僕は落ち着かないと感じる。人の視線を気にせず、集中して仕事したい。1人で静かにご飯を食べたい。

 人の視線なんて気にする必要ない、という意見もあるだろう。

 気にせずにいられるなら悩んでないんだよな。

「気にしなくていい……そうか! 気にしなくていいのか!」ってなるわけないでしょ。
 そういうわけで、人が密集したデスクに長時間拘束されたまま仕事をする、過ストレスな状況が続いている。

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 こないだ、昔の友人と川べりでビールを飲みながら、最近の悩みについて喋った。自分の思考のプロセスや、そこから導いた仮説、そしてそれに対する反対意見(つまり自分の考えに対する批判)を語った。要するにいつものようにグダグダと結論の出ない考えを放流した。そうしたら、「考えすぎ」「悩みすぎるのも意味ないかもね」みたいなことを言われた。

 まただ……

 何回目だろうか、こういうことを言われるのは。話の内容にレスポンスされるのではなく、それを話す姿勢を批判されるのは。

 僕の中には、思考することというのは、それが何を対象としているのかを問わず尊いことである、という価値観がある。つまり、考えることって無条件に大事だよねということだ。

 しかし少なくない人が、何かについて考えていることそれ自体を批判するわけです。

 疲れる。

 ただまあそういうふうに思う気持ちもわからなくはないんだよな。隣にいる人がすごい暗いトーンでネガティブな話を吐露していたら楽しくないでしょ。暗くてネガティブになっているほうのメンタルの問題だ、とも思う。

 だけど、そういう気持ちにちょっとは寄り添ってくれてもええやん…とも思う。

 

悩みについての悩み

 大好きなポッドキャスト「中トロラジオ」でそれに関連する話をしてたような気がする。

#閏16【世知辛〜い話(ガチ)/俺たちゃ菅田将暉】

37:00あたりから。

中西さん「(大学時代、卒論が書けなかったというエピソードから)何か噛み合ってないな、じゃあ何が噛み合ってないんだろうって机に向かって1人で考えることが大事だったかもね。自分のわからなさを言語化しても、わからないままだから」

トロニーさん「そうか、その一歩次なんだ」

中西さん「わけわかんないよーという感情に共感してもらうための言語化をずっとしていたわけで、愚痴ってるときは。わかるようになるための言語化をしてないから。って今思いました」

(中略)

トロニーさん「認知の歪み出てますよって言われても、いや、認知の歪み出てるよ、って泣きながら言うしかなくない?」

中西さん「でも指摘されたら歪みを是正できるから」

トロニーさん「歪みを是正するところは、リハビリパートじゃん。せめて野戦病院の2段ベッドでいいから寝かせてくれよって思わない? 痛みを伴うリハビリの前に、まず体力回復の時間が必要なんだけどって」

中西さん「でもその結果として歪んじゃってるわけだから…」

トロニーさん「そうなんだけど…そうなんだけどさあ、治療に耐えられるほどの最大HPが足りてないんだけどって思う」

 

 たぶん、一番正しいのは解決に導くこと、悩みを終息させることだと思う。それはそうなんだと思う。一方で、「もう少し内省するべき」と思ったり、過去を咀嚼しなきゃいけないという義務感が湧き上がったりもする。雑に言い換えれば「悩んでいたい」と言えるのかもしれない。村上春樹風に言えば、「年輪を作る」。

 そういう営みって、まあ確かに1人でやるべき取り組みだから、人前で見せるべきではない…のかもしれない。でも、数メートルでも伴奏してくれればなあ、とかちょっと思ったりするんだけど、甘えとかわがままなのはわかってるんだけど……。