研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

初めてのカウンセリング/自己開示には勇気が要る

「僕が助けるんじゃない、君が勝手に助かるだけだ」

これは西尾維新の「物語シリーズ」で忍野メメというキャラがよく言うセリフだが、こういう手助けに似たことを現実にやる人がいる。カウンセラーという職業の人だ。そのカウンセリングに初めて行ってみた。

【理由】
名状し難い不安、もやもやがあったので。現世に生きてる限りそんなの誰だってもってるでしょう。

【受けることを決めたきっかけ】
俳優/映画監督/文筆家の小川紗良がカウンセリングを受けたときのことを書いたnoteを読んだ。

note.comカウンセリングは予防接種みたいなものだから本当に心が落ち込む前に行ってみるのもいい、と言ってて、なるほどなじゃあ行ってみようかなと興味が湧いた。

さらに後日、BTSの事務所が所属アイドルの心のケアにとても気を遣っていて、BTSもカウンセリングを受けているという記事を読み、ははあそうなのか、みんな受けてるのか…と背中を押された。

【予約するまで】

名前だけの「カウンセラー」に当たるのは嫌だったので、ちゃんと臨床心理士の資格を持っている人がいる施設をこのHPで探した。

臨床心理士に出会うには 利用規約 l 一般社団法人 日本臨床心理士会

それでまず、近所の大学が開いているカウンセリングルームに電話した。大学のカウンセリングルームはどこもそうだが、教育目的で、大学院生が対応に当たる可能性がある。まずそのことを電話で言われた。それはネットに書いてあったので知っていたが、その後、「大まかな相談内容を教えてほしい、それに応じて適切な相談員を選び、日程を調整するのに1か月かかる」と言われ、今回はやめることにした。1か月後て。困ってるのは今なんだが。

それで、都内でそこそこ実力派というか、信頼のあるらしいところに電話。スタッフの人はきわめて落ち着いたトーンでゆっくりとしゃべってくれる。めちゃくちゃ丁寧に、料金、カウンセリングルームへのアクセスなど話してくれた。料金は(ざっくりいうと)1時間1万円。けっこうする。

それから相談の内容を簡単でいいので教えてくださいと聞かれ、ちょっと考えて「プライベートの人間関係で」と答えた。これ、どこのカウンセリングルームでも予約の際に聞かれるんだろうか。電話口で急に聞かれると頭がクルクルしてしまう人もいるかもしれないので、ざっくりなんて言うかは電話の前にちょっと考えた方がいいかもしれない。まあ「もうちょっと詳しく教えてもらえますか?」とかは言われないと思う。

ほかには「男性の臨床心理士が担当しますがよろしいですか? 2回目以降継続される場合は、同じ臨床心理士が担当します」「こちらからお電話差し上げる場合は、施設名を名乗ってもよろしいですか? それともスタッフの名前を申し上げたほうがよろしいですか?」と、細やかな気配りがなされているのだなと関心した。で、3日後の土曜日に予約を取り付けた。

【感想】
カウンセラーは男性の臨床心理士で、スーツを着ていた。一番思ったのは、ほんとうに話を聞くだけなんだなあということ。相槌も、ウン…エエ…みたいな、かなり抑制的なもの。僕はてっきりカウンセリングというのは、相手、つまり僕の言ったことを都度ミラーリング(オウム返し)したりとか、大きく頷いて共感したりしてくれるのかなと思ったが、あんまりそういう感じではなかった。マスクをつけていることもあり、相手の方がどんな表情で聞いているのかが分からない感じも少し不安だった。ただこちらは楽しい話をしているわけではないので、笑顔というわけではなかった。こちらの低めの感情に同調しようとしている感じだった。

それからこれはHPにも書いてあったことだが、カウンセラーはアドバイスのようなことをしてくれるわけではない。そういうわけだから、僕は「どうすればいいんですかね?」と聞くことができず、ひたすら自分にあった出来事や、その時僕が感じた出来事を、目の前の初対面の男性に話していた。しかしご存知の通り、ある種の自己開示は勇気を伴う行為だ。恥ずかしいとか、つらい記憶が蘇って苦しいとか、あると思うけど、いずれにせよ勇気が要る。こないだ仕事で会った人も「自己開示には勇気が要りましたが」と言っていて、そりゃそうだよな……と思った。

会ったことのない人だから言いやすいと言う人もいれば、会ったばかりの人に心の奥深くにある柔らかいものを取り出すのは痛いという人もいるだろう。僕は前者かと思ったのだけど、それでも相談を始める時、かなり言葉に詰まった。カウンセラーの人は「ウン…ウン…」と優しく促すのだが、それがちょっとプレッシャーで、会議で発言を求められている時みたいな気持ちになった。

そういうわけだから、話をするのは結構疲れた。なんか、リアクションが薄い人と2人っきりになって、沈黙を回避するために必死に僕が自分の話をするみたいな感じがした。自己開示を促す質問とかも、後半はあったけど、そんなにしてくれない。自力で話す必要がある。沈黙が訪れても、カウンセラーの人は僕が口を開くのを「ウン…ウン…」って待つというスタンスだった。そうなるたびに焦りながらマスクの下で口をもぞもぞさせた。まあ、最初は僕がどういうスタイルの人なのか見極めるフェーズだったのかも。それで、そんなに何もしなくても自発的にしゃべる人だと思われたからこういうふうにカウンセリングを進められたのかもしれない。とはいえ正直けっこう疲れた。

その一方で、何を言っても否定されることはないので、後半はわりと安心感をもって話せた。当初相談しようと思っていた以上のことを話せたし、過去起きたその出来事は僕にとってなんだったのか再認識させられたりとか、僕がうまく指し示すことのできなかったもやもやした事象をクリアにすることができたりとかした。それも、カウンセラーの人がそのように整理したわけではなく、僕がダラダラと自分の思考をしゃべっているうちに自分で気づいた、たどり着いた、という格好で。

「たとえば……その……」

「ウン……」

「たとえばそのー……Aという悩みを解消するのに手っ取り早いのはBをすることだと思うのですが、そうすると僕の中にあるCという思い……と、相反することになる……んですよね。だからAの苦しみをもうしばらく反芻して……とかいうといささか感傷に浸ってる痛い人みたいですが……Aの苦しみをもうちょっともっていたいというか……」

「ウン……」

「そう、そうなんですよ……」

「ウン……」

「ウン……」

「……Bをしてしまったら、Cと違うんじゃないか、という思いが〇〇さんの中にあるんですね」

「エエ……」

「ウン……エエ…………さっきAの気持ちも……もっていたいっておっしゃってましたよね」

「エエ……ハイ……」

「エエ……もしかしたら……自分と向き合う時間が必要なのかもしれないですね」

これを「またカウンセリング受けてね」という営業トークか? と訝しんでしまうところが僕の悪いところだが、とはいえ悪い気持ちはしなかった。自分と向き合う時間が必要なのは全くその通りだと思った。過去は変えられない。僕の家のガレージに1.21ジゴワットのパワーを出すデロリアンはない。僕にできることは、僕のなかにある認識を見つめなおし、思考と現実の対応関係を再構築することだけだ。だから結局は自分と向き合うしか、硬直した現状をほぐすことはできないわけだ。

そんなわけでカウンセリングが終わった。家に帰るまでの約20分間、イヤホンで音楽を聴いたりスマホでネットを見たりといった行為にまったく興味がわかなかった。自分が経験したこと、考えたこと、話したことをもう一度精査し、走査していた。自然と自分と向き合っていた。そしてそれは、変えられない過去を悔やんだり、過度に自罰的になったりする思考とは違っていることに気付いた。あー、なるほどな。知らないうちに水を向けられていたわけね、僕は。そんなことを思った土曜日の夜だった。

この文章が、誰かが自己開示をする勇気を与えられればと思います。