研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

芥川賞受賞作『ハンチバック』感想 描かれたのは「失敗する権利」へのまなざし

 第169回芥川賞を、市川沙央『ハンチバック』が受賞しました。報道によれば、「選考委員の圧倒的な支持を得て、2回目の決選投票は行わずに決まった」とのこと。

 7月19日に受賞し、25日には10万部の重版が決まり累計20万部を超えたそうです。新人の文芸書では初版1万部も刷らない現在の出版市場において、20万部というのはかなりすごいことです。


『ハンチバック』は、国の指定難病(筋疾患先天性ミオパチー)のために電動車いすと人工呼吸器を用いて生活する女性が主人公。主人公は日々、Twitterの裏アカウントで「生まれ変わったら高級娼婦になりたい」「妊娠して中絶したい」などと投稿。その障害をもつ立場からしか見えない、独特の困難さや葛藤を描いています。

 何がすごいのか。たとえば次のようなセンテンスがあります。

”こちらは紙の本を1冊読むたび少しずつ背骨がつぶれていく気がするというのに、紙の匂いが好き、とかページをめくる感触が好き、などと宣い電子書籍を貶める健常者は呑気でいい。”(P34-35)

 ここには健常者がふつうにやっている、紙の本を読むことへの批判的視線があります。

 紙の本って、懐古趣味です。だって今の時代、スマホのkindleアプリをスワイプすれば片手で、というか指一本で買って読めるわけです。にもかかわらず、書店に足を運ぶ。選んで、レジに持って行って、買う。持ち帰って、表手で開いて、めくる。「背骨に負荷のかかる方法」で、読む。

 倒錯したフェティシズムともいえるのではないでしょうか。月1000円のサブスクで音楽を聞くのではなく、わざわざレコードとプレーヤーを買って聞く、みたいなことなわけです。高級な趣味なわけです。

 当然のようにできること。でもそうじゃないかもしれない、と、思わせる。自分のやっていることは手前にある「ふつう」ではなく、彼岸にある「異常」なのではないかと相対化させる。健常者が自覚していない特権性を暴く。それを、作者の市川さんと同様の疾患を抱えた女性を主人公に据え、当事者表象として描く。そこが評価されたポイントなのではないかと思います。

 

「中絶したい」気持ち、男性にもわかる?

「都内最大級のハプバに潜入したら港区女子と即ハメ3Pできた話(前編)」

 うわあ、と思った人もいるかもしれません。この本は、主人公が書いた上掲の架空体験ルポの文章から始まります。主人公は、こうした文章をネットのニュースサイトに売っています。

 なぜそういう文章を書いているのか。まず思うのは、主人公は身体の障害ゆえに、そういう性的な世界にアクセスできないから、ある種のあこがれがあり書いている、ということです。実際それはあると思います。しかしもう少し考えると、そこには一つの屈折があるように思います。

 ヒントは最初にも書いた、主人公がTwitterに投稿する文言です。「生まれ変わったら高級娼婦になりたい」「妊娠して中絶したい」……これらは単に遊びたいとか性を謳歌したいといったものとは少しずれています。そこには、「失敗してもいいから」という留保、譲歩があります。前のツイートは言い換えれば、(身を削る形でもいいから)セックスしてみたい、(無駄になってもいいから)妊娠してみたい、というふうに読めます。

 痛みを伴うとわかっていても、やってみたい。それは単なる好奇心が勝っての衝動、なのでしょうか。破滅してでもせざるを得ない、ということなのでしょうか。僕にはそこに、少しの自己肯定感の低さが表れているように思います。どういうことか。

 極私的な話になってしまうんですが、一部の男性は、ある層の女性が語る「彼氏に捨てられた」的な話に対する嫌悪感をもつことがある。それは、一定程度の成功の上での失敗談だからだ。「捨てられたと言っても、一度は恋人を得たわけじゃん」というわけです。失敗談のように話すけど、まずあなたは一度成功してるじゃん、と。

 しかし、ある種の男性からすると、まずその第一段階の成功ができていない。恋人ができない。彼氏に捨てられた女性が階段の踊り場で嘆いているのだとしたら、それを見る私たちは階段を一段も上がれていない。踊り場にすらたどり着けない。

 そういう卑屈さを抱える主体からすると、ストレートな成功ではなく、失敗とセットの成功がうらやましくなる。キレイにハッピーエンドの成功をすることはできないかもしれないけれど――自分にはそういうルートをたどる権利はないかもしれないけれど――せめて踊り場で嘆きたい。

 そういう気持ちを、本作の主人公も抱いていたのではないでしょうか。言い換えれば、「失敗する権利」への憧憬です。愚かな行為かもしれなけれど、自分はそれがしたいという意思。19世紀のイギリスの哲学者・J.S.ミルが言った「愚行権」とも重なるかもしれません。私たちには、バカなことだとわかっていても、破滅を欲望することができる。それを差し止められるいわれはない。そういう意味では、「中絶したい」という気持ちは、僕にもわかるように思うんです。

「娼婦になりたいなんていっちゃだめだよ」「妊娠して中絶するなんてよくないよ」……本書の主人公のツイートには、そうした「健全」で「真面目」で「正しい」指摘を挑発するような姿勢がある。規範化された価値観を相対化するまなざしに、私たちはどうまなざし返せばよいでしょうか。そんな問いを残す一冊だと思います。