「消極的な動機」って言えば伝わるのかどうかわからないんですが、要は「実行することによって良い結果が得られる」のではなく、「実行しないと悪い結果を得てしまう」、だから実行する、っていう心理について考えてました。
僕はネット空間(とりわけリアルの知人に向けたラインやツイ垢に関して)の絵文字について、もしかしてネガティブインセンティブが彼らに絵文字を入力させてるんじゃないかという仮説を立てました。
つまり彼らは絵文字を好きで入力しているわけではないのです。「絵文字も無しって、もしかしておこなの?」的な誤解を回避するために、やむを得ず絵文字を入力しているんです。
これは絵文字を多用している彼らが実際にどう思っているかとかとは関係ありません。
先輩との付き合いで愛想笑いを連発している際に、「いやこれはほんとに楽しくて笑っているのだ」という自己暗示を掛けないとやってらんないのと同様に、彼らも煩わしい絵文字を自分の好みでやっているものだと勘違いしている(させている)のです。
それはなんだか悲しいことであるなあと思うんです。
ところで絵文字って(これは自明なことですが)感情を上書きさせるものなんですよね。他人をなじるような言明でも、とりあえずショボンとかつけとけばかわいいじゃないですか。まさか怒っているようには思えないじゃないですか。
まあそれはいいと思うんですけど、僕は普段から顔文字ばっか使っている人に違和感があって、つまりエモーショナル・オーバライド(感情更新)を強制的に行う顔文字が装飾した日常のツイートは、本当の日常を全然伝えられてないんじゃないかと疑ってるんですよね。
ほぼ全部のツイートに絵文字をつけてる人とかいるんですけど、なんかそれこそ「本当の君が分からない」っぽくないですか。
東京ちんこ倶楽部さんとかはそれを逆手に取って社畜を皮肉る、天才的なプレーヤーだと思うんですけどね。
……というところで、結局今日も何の意思表明をしたいのかわからん記事になってしまった。。。