研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

マッチングアプリで出会い、交際3ヶ月で別れた元彼女と飲んだ。

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「秋が似合うって言われるんだよね。秋生まれだから」

ある春の金曜日の夜、一緒に歩く家路で彼女はそう言った。確かにそうだと思った。桜舞う春や緑深い夏よりも、葉々の色づく秋が一番彼女らしいと思った。ブラウン。落ち着いている。涼しげに。でも一緒に誕生日を迎えることはできずに僕たちの関係は終わった。

遠くに旅行に行った。写真を撮った。カフェに行った。コーヒーを飲んだ。日記を書いた。短歌を詠んだ。仕事に打ち込んだ。ビールを飲んだ。乱反射する頭を強制停止するようにして眠った。いつの間にか夏が終わろうとしていた。

そして誕生日が来てしまった。それがきっかけだった。

短いお祝いを送った。スマホを投げ捨て、3時間後ぐらいにLINEを見たら返事が来ていた。僕がメッセージを送ってから1時間半後ぐらいに返ってきていた。夏に楽しんだレジャーに関する短い近況報告だった。僕たちはLINEではずっと敬語で話していた。なのに別れるとお互いくだけた語り口になっているのがおかしかった。まるで仲のいい2人みたいだった。

ゆるい会話のラリーが続き、食事に行くことになった。僕が誘った。平日の夜、都内で会った。夏が終わりそうな日だった。改札前の雑踏のなか、相手の顔を見つけ、頬の筋肉に少し力を入れて笑顔をつくった。相手もゆるやかな笑みをつくった。「待ち合わせで会った時は笑顔になったほうがいいよ」ーーあの日神保町のカフェで、そう言われた。

顔も髪型も変わっていなかった。服装は、僕が見たことのない半袖の服を着ていた。夏の装いだった。僕が知っている彼女は、冬と春の姿だけだった。袖から伸びる腕の白さと細さを見て、反射的に瞼を半分閉じた。自分のどこかにあるスイッチを押されそうなものを見た時に目をそらす癖がついている。そういう風にして、自分を守ろうとしていた。

久しぶりだね、そうだね。待った? 待ってない、でも探してた。そうか、元気? 元気。元気? うん、元気だよ。

一緒に街を歩きながらビールを飲んだ。夜風が気持ちよかった。住宅街は静かだが、時折電車が高架を走り抜ける音が響いた。コロナはどうだったとか、缶のラベルがどうだとか、今日仕事でどこに行ったとか、暑かったとか、満月がきれいだとか、ビールの泡みたいにすぐ消えてなくなるような雑談が続いた。

そうしているうちに、内面の話になった。内面の話というのは、たとえば人とうまくコミュニケーションが取れないとか、あるいは取れているけれど無理をしている感覚があるとか、人間関係の不全感に関する悩みを吐露し合うやり取りのことをさす。彼女(ガールフレンドという意味ではなく、三人称の)はそんなこと気にするんだとか、私も変わってるって言われるとか、そういう風に返した。付き合っているときにもした話だ。

「失恋ってどう乗り越えればいいのかな」

予約していた店に行った。前から行ってみたかったところだった。料理はおいしかった。お酒もおいしかった。話も楽しかった。「このお肉、葉っぱみたい」。彼女は言った。確かに形がきれいな紡錘形をしていた。そしてサシが葉脈のように流れていた。

会ってない間何をしてたの? 僕は旅行の話をしたり、花火を見たりしたと言った。彼女はそれに興味深そうに質問したり、共感したりした。彼女も花火を見たり、友達の結婚式に行ったりしていた。結婚式用にドレスを買った、と試着室の写真を見せてくれた。黒いドレスで、肩から腕にかけてシースルーの素材になっているものだった。「モデルの人がきれいだね」と言ったら「でしょ」と彼女は言った。

そういう報告会のあと、いつの間にか話題はまた内面の話に回帰していった。考えの違うところには互いに敬意を示し、共通点が明らかになった時は仲間が目の前にいることの喜びを分かち合った。「精神的FIRE」の話をしたらすごくうんうんと言ってくれて、話していて――気持ち悪いけれど、白状すると――気持ちよかった。いつまでも話せそうな気がした。

終電の時刻が来て、別れた。家に着き、「楽しかった」と送って寝た。朝起きて見たら、「私も!」と返ってきていた。夜深い時間に律儀に返信されていた。

その日の仕事は手に着かなかった。楽しかったと伝えて、それに素直に同調してくれる人がいるということがたまらなくうれしかった。仕事中に何回もそのLINEを見た。これが何なのかわからない。行為だけ見れば、意中の人とデートした翌日の気持ちなんだろう。でも恋とか、思いが再燃したとかでもないような気がする。明日会えなくてもべつにいいやと思う。LINEもしないだろうと思う。眠って、食事して、洗濯して、自分の人生を生きていくんだろうなと思う。

あの夜、帰り際、地下鉄のプラットフォームで2人で同じ方面の電車を待っている時、僕は彼女にある質問をしていた。「失恋ってどう乗り越えればいいのかな」。聞いちゃいけないようなことかもしれないけれど、聞いても大丈夫だという感覚があった。僕はいまだに彼女のことを考えてしまう。夜、寝る前に思い出してしまう。写真も見返してしまう。一緒に部屋で見たWBC。二重橋のスタバの前の噴水。人のいない丸の内で二人占めした夜景。終電過ぎのドンキホーテ。一人掛けのソファに2人で座った。……未練を残したまま、会うという選択をし、あきらめることのつらさを彼女と共有できるはずだと思って話した。

「またアプリやって、とりあえず付き合ってみたら?」と彼女は言った。

「それをやって、うまくいった?」

「……嫌な質問」

あきらめることのつらさを、彼女は痛いほどわかっていた。

電車が来た。一緒の方面だ。ロングシートの端っこに隣り合って座る。

一方が得をして、一方が損をするならまだわかる。でも両方が損をすることが、世の中にはある。なんて悲しいことだろうね。でもそういうのをみんな乗り越えてきているんだって思うと、すごいね。僕はそう言った。彼女は遠くを見るような目をして同意した。うん、確かにね。みんなすごい。そうだね。その言葉には、僕が抱えたことのないような重みが含まれているように感じた。地下鉄は暗いトンネルの中を走り続けていた。