最近SFの教養を身に着けたいと思い、基本的なところから読み始めている。まずは「幼年期の終わり」。科学技術が臨界点まで発達し、人間がやること全部やった世界で、人間は何のために生きるのか?と問いかける作品。「やること全部やった」というのは、つまり解決できる問題がすべて解決できたということ。たとえばご飯に困ったり、仕事に困ったりもしない。そういうのも全てロボットがやってくれるようになる(というような描写は小説中には出てこないが、おそらくそのようなことなのだと思う)。そうなった時、我々はどうするか。というか、どうなるか。我々は何のために生きているのだろうと、我々は知りたくなる。我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか……
これはすこし今風に言い変えれば、AIが限界まで人間の仕事を奪った世界で、僕達は何を生きがいに生きていくのだろう? という問いになる。飯にも困らない。つらい仕事もない。友達と一生遊んで暮らせる。それは本当に楽しいことなのだろうか……? AIが僕達の仕事を奪った時、言い換えれば、僕達の仕事を完全に代替できるAIが誕生した時、その時僕達はついに、僕達は何のために生きているのかという問いを突きつけられるのだ。
これと似たようなことを言っているのが、小松左京の短編「神への長い道」。「幼年期の終わり」ではオーヴァーロードという宇宙人が地球人に高度な科学技術を授けるのだが、この小説はそれとは逆に地球の科学技術はそんなに進歩しなかった、という設定だ。宇宙人も来ない。そこで地球人はなんとか頑張って宇宙を探検して高度な知的生命体を探すのだが、どうやら地球人よりもすごい宇宙人はいないらしいということがわかる。科学技術の点ではともかく、精神の点で何か革命的な結論に到達した宇宙人は特にいなかったのだ。ところがある時、物理的な科学技術ではなく精神や思考の力で宇宙を捉えようと頑張っている宇宙人を発見する。
そこで面白いのが、21世紀人である主人公はその宇宙人とはコンタクトを取れないというところだ。舞台は56世紀であり、主人公はコールドスリープによって56世紀に来たという設定なのだが、56世紀人は頭がいいのでその宇宙人とコンタクトできるのだ。で、56世紀人と宇宙人は果てなき思考の旅に出るのだが、21世紀人の主人公は同じく21世紀人の女と宇宙船の中でセックスする。投げやり感もあるが、これはこれである種のアンサーである。我々が、ただ存在し、子孫を残していくためだけに生まれてきたのは確かなのだから。
我々のルーツとは何か。「星を継ぐ者」はその問いにとてもおもしろい見解を提出している。本作はSFの仮面をかぶったミステリであり、ネタバレはその比類なき読書体験を破滅に追い込むため周到に避けなければならないのだが、それでも少しヒントを言うと、タイトルにある星を「継ぐ」とは何か?というところがポイントになる。月面で宇宙服を来た人類(?)が発見される。彼はなんと、今から約5万年前に死んだと推定された。 彼は何者で、どこからきたのか? 宇宙人なのか? 地球人なのか? 地球人だとしたら、5万年前に知られざる超高度な文明が築かれていたということなのか? 科学者たちはいくつもの仮説を立てるが、そのどれもがどこかの部分で矛盾をきたす。主人公は、矛盾のない、完璧な説明を考えていく。ミステリ好きが読んだほうがいいのではないかとさえ思うほどにわくわくする。これは間違いなく名作。
これを読んだ後、ロバートJソウヤーの「ホミニッド」を読みたくなった。まだ読んでないけど、テーマを聞く限り、「星を継ぐ者」と近いのではないかと想像している。
グレッグ・イーガンの「順列都市」。3月に旅行に行ってる間、飛行機の中で読んでいた。人間が意識をコンピュータにアップロードする話。順列都市で大事なのが「塵理論」と呼ばれる概念だ。これは要するにコンピュータが壊れても地球が終わっても宇宙が終わっても、我々の意識の世界は消えないという理論。大雑把に言えば、円周率の無限小数のなかには「全て」が含まれているため、円周率で我々の世界も表現できるだろうという話だ。
順列都市の面白いところは、世界が3つの階層に分かれるところだ。まず現実世界がある。そこから仮想世界であるエリュシオンがある。このエリュシオンは「セル・オートマトン」と呼ばれる技術で作られた「TVC宇宙」の一つの呼び名なのだがまあそれはどうでもよい。主人公たちはエリュシオンに意識を「コピー」する。さらにエリュシオン内にはオートヴァースとよばれる世界が存在する。オートヴァースには固有の生命体が自生している。つまり、現実、エリュシオン、オートヴァースという3つの世界が論理的階層として積み重なっているのだ。
ネタバレをすると、オートヴァースの生命体は知性が発達するにつれ、「この世界はなぜ生まれたのだろう?」という疑問をもつ。エリュシオン人、つまり意識をコピーした人間は「それは俺たちがお前達をつくったからだよ」と思っている。しかしオートヴァース人は、自前の理論で、自分たちの世界が誕生した理由を明らかにしてしまう。宗教的世界観ではなく、極めて厳密な論理的思考によって。その瞬間、エリュシオンは崩壊する。いままでオートヴァースが、エリュシオンの存在とは無関係に自信の存在理由を明らかにしてしまったからだ。
これはつまりゲーデルの不完全性定理を突破したということである。公理系は自らの無矛盾性を証明できない。でもオートヴァースはそれを証明してしまった。神やそれに類するものを持ち出さずに、厳密に証明してしまった。そうなるともはや、神やそれに類するものの存在理由は消滅する。なぜならこの世界が存在しているのは、神のおかげではないのだから。オートヴァースにとっての神というのは、もちろんエリュシオンのことだ。
この辺はテッド・チャンの短編(といっても彼は短編しか発表していないのだが)「ゼロで割る」を読むと理解が深まると思う。ゲーデルの不完全性定理を否定する証明を完成させてしまった数学者の話。
ところで今公開中の映画「メッセージ」はテッド・チャンの「あなたの人生の物語」を原作としている。変分原理の話や、「カンガルー」という言葉のほんとうの意味の話、「標義文字」の話など、アイデアがいっぱいつまった作品だ。「標義文字」は、カート・ヴォネガットの小説に出てくるトラルファマドール星人や、先ほどの順列都市の塵理論にも似たモチーフで、連想して考えるのも面白い。
そんなところか。「夏への扉」は高校生の時にたしかに読んだはずなのだが、内容をまったく覚えていないので、もう一度今読み返しているところ。