研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

「花束みたいな恋をした」感想 変わってしまった自分に苛立つのはよく分かる、けれど…

考え抜かれた伏線、劇中に出てくる実在のカルチャー、大学時代好きだったものに耽溺できなくなる社会人……なかなかに刺さる傑作だった。

 

主演は菅田将暉&有村架純。脚本は「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」の坂本裕二。2月14日は日曜日かつバレンタインデーとのことで鬼滅を抑えて動員ランキング3週連続1位。図らずも2/14に一人で見に行った僕は周囲のカップル率の高さ(ほぼ100%!)による疎外感を痛いほど味わった。

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冒頭、カフェで一緒のイヤホンを片方ずつ付けて音楽を聞くカップルがいる。「あの二人、音楽好きじゃないな」「音楽はLとRで別の音を鳴らしてるんだ」「片方だけ聞いたら、それは別の曲だよ」離れた場所から別々の男女が同様に批判する。この二人が出会ってから別れるまでの話。ちなみにこのシーンは別れた後のシーン。すごーく引き込まれるオープニング。

 

時は遡り、2015年。カラオケに行くとみんなセカオワの「RPG」を歌っている、というシーンが最初のほうにある。ああ、このころ流行ってたな……ちょうど僕の一個上の世代だ。明大前駅は2年間利用していたので周辺の様子はだいたいわかる。甲州街道のあの夜の感じとか。

 

ハイコンテクスト会話についてこれて、同じジャックパーセルを履いていて、ガスタンク撮影という虚無趣味に理解を示してくれる異性との出会い。有村架純演じる絹ちゃんの「こういうコミュニケーションは頻繁にとりたいほうです」でニヤニヤが最高潮に達する。 僕も明大前で終電を逃していればあるいは……


全体から漂う「カルチャー選民思想」
鼻につく表現がある。押井守のことを「神がいます」とだけ表現したり。「電車に乗った、を彼は、電車に揺られた、と表現した」というモノローグとか。スノッブ! 

 

とくに「ワンオクとか聞くの?」に対し「聞けます」と返すのは絶妙な台詞回しだと感嘆した。「聞く」を「聞ける」と活用する人を見たことないけど、なるほどなと。そういう庶民の音楽も聞くのは可能だよと。この一言に人物像がめちゃくちゃ表れている。脚本の妙。すばらしい。

 

ただ、言葉はスノッブでも、麦くん絹ちゃんという人物はまったく嫌味ではないというところがすばらしかった。これが大事なところ。演技力によるものであり、おそらく菅田将暉・有村架純という役者自身の魅力によるものでもあると思う。

 

世の中には固有の作品名を出したり古典の引用で話したりして相手の教養レベルを推し量るという嫌味極まりない行為をするやつがいて、「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」でそれを感じたと書いたが、そうしたスノッブさが脱臭されていく過程、変化を描いたところがいいと思っている。

 

パズドラやビジネス書にハマるのは悪いことじゃない
そしてその変化は、必ずしも悪いことではないんだよな。まあ、摂取するコンテンツの「ステージ」が下がったみたいなことを感じるのはとてもよくわかる。僕も就職して忙しくなるにつれ、映画鑑賞や読書にまったく熱中できなくなっていくことに苛立たしさを感じていた。仕事で趣味の時間を捻出できないならまだしも、休みの日でさえスマホでYouTubeを見るなどして時間を浪費し、空虚感とともに日曜の夜を迎えていた。

 

なぜ映画や読書に充てないのか。麦くんの台詞がそれを端的に表した。「頭に入ってこないんだよ」。一緒に読んだ『宝石の国』の内容も覚えてない。仕事の責任感で心が休まらない。

 

まあ、社会人になって1、2年はそんなもんだと思う。というか、4年目の僕も不安なことはたくさんある。学生時代に耽溺していたカルチャーに熱中できない自分に愕然とすることはある。

 

でもそれは過度に忌避するもんでもないとんだよな。劇中、"ある一定の範囲の人”が接するコンテンツの象徴として出てくる「ショーシャンクの空に」「パズドラ」『人生の勝算』が悪いわけでは決してない。

 

それは普通に社会人生活を送ればわかる。自分が本当は何が好きなのかなんて、自分でもわからないもの。べつにパズドラやってビジネス書読んだっていい。そこから新たな趣味や人生が始まることだってある。麦くんはそれを卑屈に思う必要はない。人は変わるものなのだから。

 

麦くんと絹ちゃんは逆のほうがよかったのでは

つまり、あくまで変化なんだよな。劣化とかではなく。麦くんは変わっていった。一方、絹ちゃんはわりと一本筋が通っている。BOWもプレイしてるし、ゴールデンカムイの最新刊にもキャッチアップしてる。

 

だからこそ、就職してつらくても稼ぐ、イラストを描く時間が取れなくても働き続けるという道を選んだ麦くんのスタンスの変化を受け入れられない女、 みたいな読まれ方をされる危険性があるかなと思った。

 

たとえば、絹ちゃんの「わたしは好きなことをやっていたい」に対し「” じゃあ”結婚する? 俺が稼ぐから」という、あまりに時代錯誤な発言。この映画、構図としては、男が社会に出ていろいろつらいことを経験して変化するが女は分かってくれないという風にも見えかねない。

 

しかし現実にはむしろ、女性の側が麦くんのような経験をするということもたくさんある。なにせ人類の半分は女性なのだし。

 

だからこの映画、麦くんと絹ちゃんの立場が逆だったら、かなり現代の若者をえぐる作品になったのではないかなと思った。しかし普通に考えて、恋愛映画を見てこんな感想を書いてしまうのは、ちょっとズレてるんだろうな……

 

 

 

ちなみにメディア系の人間としては、「3カットで1k」の発注はちょっと信じられない。

 

参考図書

アルジャーノンに花束を〔新版〕

アルジャーノンに花束を〔新版〕

 

23歳の時、仕事であまりにもつらいことがあり、居酒屋で一人で読んだ。一度獲得した知性が衰えていくチャーリィに自分を重ねて涙が出た。でも高度な知性があり、人生の辛さも甘さもわかりすぎるほどわかるような状態が、必ずしも幸せといえるのか?  社会人2年目で読んだのはこの上なくベストなタイミングだった。