研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

日常の空白地帯

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 土曜日。朝、9時ごろに目覚め、まずは暖房をつけた。ベッドの中でスマホを握りしめSNSとニュースサイトを巡回。10時ごろにのっそりと床に足を置いた。歯を磨いて洗濯機を回し、洗顔して、コーヒーを飲みながら溜まった新聞を読み、洗濯物を干し(曇天なので部屋干し)、先週届いてたイケアの家具を組み立て始めた。靴箱。完成まで1時間ぐらいかかった。真っ白くて清潔な靴箱だ。天板にフェイクグリーンなどを置けばより小綺麗な玄関になるだろう。

 13時半ごろ、清澄白河まで歩いて前からブクマしていたラーメン屋に入った。にぎわってるけど満席ではなく、カウンター席はちらほら空いている。入り口すぐ右手の券売機に向かうと「いらっしゃいませえ」という声が聞こえた。「当店人気No1!」というPOPが券売機左上のつけ麺のボタンを飾っていた。財布を開けたらお金がすっからかんだった。一度退店し、近くのファミマのATMで現金を下ろし再入店して食券を買った。

「なんで現金用意してなかったんだよう」と思わなくもなかったが、そういうことで都度BADモードになってると生きていくのは大変だと近年感じつつある。そのラーメン屋とATMの間の往復に何らの味わいも含蓄もない。日常の空隙でしかない。だがそれをしなければラーメンを食べることはできない。そういう空白地帯の集合体で我々の24時間は埋められている。

 ラーメンは岩海苔たっぷりのスープと低温調理されたチャーシューがすごくうまかった。

 家に帰って新聞の続きを読んでいたら眠くなった。ベッドに入ったら2時間ぐらい寝てしまい、起きたら17時を過ぎていた。雨が降っていた。新聞の続きを読む。どっか出かけたいけどどうしようかな……こないだ弟がおすすめしていたスパに行ってみた。サウナが広くてよかった。

 で、帰りしなにマルエツプチに寄って夕食(鶏肉のトマト煮)の素材を買うのだが、会計して袋詰めしてるときにトマト缶を買い忘れたことに気付く。トマト煮を作りたいのにトマトを忘れるとは……まあ家の近所のコンビニに売ってるだろうと思って、一度帰宅して荷物を置き、すぐ近所のセブンイレブンに行くもトマト缶はなかった。そうか、置いてないのか……また別のところにあるセブンイレブンにも行ってみたが、そこにもトマト缶はなかった。で、その向かいにあるライフでカットトマト缶とホールトマト缶を手にしレジに持って行った。財布を持っていなかったのでやばいと焦ったがPayPayで決済できたので助かった。

 トマト缶を手に入れるためだけにこんなにあちこち歩き回ったのは本当にあほらしい。でもそれをしなければ鶏肉のトマト煮はつくれなかった。

 先日よしもとばなな「キッチン」と村上春樹「ノルウェイの森」の相反する点について書いたけど、似ている点もある。見過ごされがちな細かい作業を書いているところだ。「ノルウェイの森」は村上春樹にしてはめずらしくリアリズムの文体で書かれたリアリズムの小説だが、主人公のワタナベ君が外に出かけようとするたびに「シャツにアイロンをかけ、髭を剃り、」という一文が入る。これがいい。確かに人に会う前は髭剃るよな……と。でも日記にそのことを書いたりはしないし、人に話したりもしない。そういう見過ごされがちな空白地帯を書くことで生き生きとした日常が立ち上がってくる。

 おそらく「キッチン」が世界的に人気なのもそういうところなんじゃないか。料理した後にキッチンを磨いて掃除するとか……そういう見過ごされがちなシークエンスをカットせずにフォーカスしてるところに人生を感じとられていいんじゃないか。と、鶏肉のトマト煮を食べながら考えた。