研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

宇宙で一人ぼっちSF『プロジェクト・ヘイル・メアリー』感想(途中からネタバレあり)

大学生の時、『幼年期の終わり』を読んで涙があふれた。『順列都市』を読んで脳が沸騰した。『星を継ぐ者』を読んで言葉を失った。

そして今、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を読んで宇宙に想いを馳せた。

 

 

一応、ネタバレなしのあらすじを記します。

太陽のエネルギーをパクパク食べる生命体「アストロファージ」が発生。計算では、30年後には地球の気温は10度下がり、作物が取れなくなり、黙示録的な破滅を迎えることになる。そんな中、アストロファージがあるにもかかわらずエネルギーを失っていない恒星を観測。なぜなのか。その理由さえ突き止めれば、太陽の輝きを失わずに済むかもしれない。●光年(←失念)離れたタウ星系に向けて探査船を送り出す「プロジェクト・ヘイル・メアリー」が始動した。

●光年離れたところまでどう行くのかというと、アストロファージをエネルギーとしてロケットに実装します。序盤、アストロファージは数ミリグラムでも核兵器並みのエネルギーを蓄えるとんでもない生命体ということが判明するんですね。

このアストロファージの生態を解明する描写がまず素晴らしい。どんな条件で生きるのか? 繁殖するのか? 死ぬのか? 仮説を立てて検証する。失敗する。また仮説を立てる。その繰り返しで真理に向かう、知的に真摯な態度にかっこよさを感じます。そしてこうした科学的な描写こそが本作の全体を通奏する魅力でもあるのです。

で、主人公は「ヘイル・メアリー号」に乗って宇宙に飛び立つのですが、気づいたら船のクルーは自分以外死んでいた。窓の外を見ると光ってる星がある。太陽か? いや違う、ここはもうすでにーー

ていうか、僕、誰だっけ?

「記憶喪失」×「宇宙で一人ぼっち」の壮絶サバイバルが始まるーー

 

 

 

 

ーーーーここから10行ぐらい下からネタバレーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実は読み終えてから1週間経ったのですが、今でも思い出すのは、やはり一番最後の、エリディアンの子どもたちに「光の速度がわかる人はいるかな?」と問いかけるシーンですね。

僕はiPhoneのKindleで読んでいたのですが、最後、エリドにたどり着いてからは主人公グレースの台詞がゴシック体のボールドで表記されてるんですよね。ヘイル・メアリー号の船内ではロッキーの台詞がそのフォントで記されていたのですが、ここではそれが反転している。ここでは主人公こそが宇宙人であり、言葉を翻訳されているんだ、ということに気づかされます。ロッキーの台詞も、「〇〇、質問?」のように限られた語彙、歪で愛らしい文法ではなく、高度に洗練された口調に変わっている。あの話し方が萌えポイントでもあったのでちょっと悲しさもあるけれど…(笑)

本の最後に付いている解説では、このシーンは映画「オデッセイ」のラストシーンをオマージュしていると書かれています。本作の作者アンディ・ウィアーの『火星の人』の映画版が「オデッセイ」。マット・デイモン主演で大人気となりましたが、ラスト、火星から帰還した主人公が大学で「質問のある人?」と尋ねると教室に集まった学生みんなが一斉に手を挙げる。非常に印象的な幕切れですが、これは原作にはなかった映画オリジナルのシーンで、だからこそPHMのラストは逆輸入的な良さもあるんですね。

でも僕は何よりも、主人公の信念が端的に表れているシーンだなと思ってここに感動しました。中学校の理科教員。「子どもたちに残酷な世界*1を見せたくない」。その正義感で、宇宙の果てへの片道切符をつかんだ(まあ、つかまされたというのが正しいかもしれないけれど)。そして、明晰に思い出せないのですが、確かロッキーとの会話の中で次のようなやりとりがあったと思います。

「死ぬとわかっていてこの船に乗った」

「理解できない。進化は死を拒否するはず」

「通常はそう。しかし、種としての繁栄の意志が個としての生存の意志を超えることがある」

ここに人類のすごさを感じるんですよね。たしかに、命を賭して何かを守るという行為は現実にもある。歴史上無限に繰り返されてきた。それは動物は絶対にしない。遺伝子に反したバグでありエラー。人間はそれをしてしまう。グレースの選択はその不合理をすごく表している。

最後、ロッキーを助けに戻ったのも不合理の一つかもしれません。タウメーバを窒素耐性強化させていったら、キセノナイトを貫通するように進化してしまった。ロッキーはこのままでは宇宙に取り残されてしまう。でもロッキーのところに行ったら自分は地球には帰れない…究極の選択。グレースはロッキーを助けに行った。で、その選択に、なんというか納得感があるんですよね。それはきっと、ここまでグレースがどういう人間なのか、緻密に描写されてきたからだと思うんです。もちろん、生い立ちとか家庭の教育とか宗教的背景とかが説明されてたわけではありません。でも、学校で子どもを教えるときの意識、アストロファージの研究に没頭する熱意、そしてロッキーと対話を重ねてきた知的好奇心…そういったもろもろのイベントから彼の優しさというか人柄の本質を読者は感じ取ります。だからロッキーを助けようと決断した時、「きみならそうすると思ったよ!」と私たちは身を乗り出すわけです。

ロッキーとの対話はやっぱりこの本の1番の見どころでしょう。好きなシーンを挙げるとキリがないのですが、まず最初の、「別の知的生命体と会ってみたい」という好奇心を抑えきれないグレースの心理描写がいいですよね。そう、たんに好奇心なんですよ。見てみたい。

そして対面してから、相手とのコミュニケーションの可能性を諦めずに思考を巡らすところも非常にスリリング。この異星人は光を感知していないのか? 音だけで空間を把握しているのか? どんな組成の空気の中で生きているんだ? 気温は? 気圧は? 生活サイクルは? 食事、睡眠は?(←食事してるところを見られるの恥ずかしいという設定、藤子F不二雄の『気楽に殺ろうよ』を思い出した)

対話を通じて未知の言語を解明していくという行為は地球上の少数言語研究でも行われていることだけど、宇宙人相手にこれをやるのは大変だろうなあ。例えば頭を指差して「あたま」とか言って、「頭」を意味する単語を相手に言わせて単語帳をつくっていくなどといったこともできない。身体性を共有していない、なんなら地球の物理法則も共有していない相手との概念のすり合わせは相当に困難なものな気がする。ここらへんの困難は、『あなたの人生の物語』でも仔細に描写されていたような気がする。

そしてエリディアンは必ずしも地球人よりも優れた科学を有していないというところも興味深った。生息している惑星の条件によってそこにいる生命体の身体性や思考は大きく左右される。エリディアンは宇宙線の存在や相対性理論などを知らなかったわけだが、それはたんに科学の未発達あるいは未発展と言ってよいのか。あるいは、そういうことを考えたり実験したりする環境がなかっただけなのではないか。ちょっと思考が未整理なのだが…たとえば人間に空を飛ぶ羽がついていたら、流体力学は今よりもっと発展しているのではないだろうか。そう考えると、科学ってどのぐらい直線的な学問なのだろう。置かれた条件が違えばまったく違う前提のもと、全然違ったことを考えるのかもしれない。初期条件が違うと思考のフィールドも変わるのかもしれない。

 

*1:この作品で言われる「世界の終わり」はいわゆる氷河期突入からの絶滅を示しています。が、小説の終盤、ストラットがより具体的に「終わり」について説明します。それは平たく言えば世界戦争です。作物が取れなくなったら人類は協力して平等に飢えていくか? そんなことはない。歴史上の戦争は全て「食べ物が足りない」という理由で起こった。地球はいずれ、その道をたどることになるーーあまりに明晰な、そしてありうる未来予想に怖くなりました。