研ぎ澄まされた孤独

とりとめのない思考を無理に言語化した記録

銀座線で妊婦に席を譲った

渋谷駅で銀座線に乗った。ロングシートにはすでに1席おきに人が座っていた。合間に入るのははばかられた。空いている優先席に座った。

駅を経るごとに乗客が増え、たちまち満席になる。車内に立っている人たちを見る。……みな若者だな。まだ席を立って譲る必要はなさそうだ。

銀座駅。たくさん人が乗り込んでくる。一人一人、姿を目で確認する。若者、若者、若者……壮年の女性? 老年とはいえない。立ち上がるべきかと思っていたら、その女性は向かいの席のほうを向いて吊革につかまった。自分に背を向けている人に声をかけてまで席を譲る勇気は出なかった。

電車が発車しようとしたとき、僕の席の方に小さな女の子を連れた母親が来た。入口のほうは人でいっぱいになっていた。まだお若い。だがこの満員の車内、女の子のために席を空けるという考え方もあるのでは?  いやでもーー。

逡巡した次の瞬間、僕は彼女がかけているメッセンジャーバックにマタニティバッジがついているのを見逃さなかった。「お腹に赤ちゃんがいます」。

Air Podsを外し、読んでいた本(楠木健『絶対悲観主義』)を閉じ、立ち上がった。

 

「あの、よかったら座ってください!」


マスクなので表情はよくわからなかったけど、確か驚いたように目を丸くしていた、と思う。


「すいません、ありがとうございます!」


僕が人ごみのなかドアの方に向かっていくと、女の子の隣にいた夫らしき人も「すみません」とお礼を言ってくれた。

嬉しかった。

 

話はそれでは終わらなかった。ドア前の空間に立って『絶対悲観主義』の続きを読んでいたのだが、日本橋駅に着いたところで、降りる客がとても多かったため、僕もいったんプラットホームに降りた。そうしたら、さっきの家族がここで電車を降りた。その時、夫婦そろって僕に向かって「ありがとうございます」と会釈をしてくれた。僕のことを認知してくれている!  そして 2度もお礼をしてくれた。嬉しい。

席を譲った時は勇気を出すので精一杯だったのだが、この時はいいことをしたという余裕があったので、僕はにっこりと笑って会釈を返した。