新宿のブックファーストに行った。学生時代、何度も来た店だ。久しぶりの店内は、家具屋さんが入ったりしてちょっとリニューアルされていたけど、新書コーナーの位置とかは変わっておらず、脳内マップの感覚のままたどり着くことができた。
祥伝社新書の棚を物色していた、その時である。
「あの、そのスニーカーめちゃめちゃかわいいですね。どこで買ったんですか?」
見ると、白いTシャツにサックスブルーのシャツを羽織った青年だった。若くて大学生かなと思った。清潔感があり、ヘルシーな笑顔を絶やさない。
「ああ、無印で買ったんですよ。4000円ぐらい」
「無印で売ってるんですか! 実は僕、今まさにそういうスニーカー履きたいなと思って探してたので……でも無印にあるんですね。見たことなかったです」
「あー、今はもう無くなっちゃったのかな。ライムグリーンのやつなんですけど」
「わあ、いいですね。オシャレ……無印男子、ですか?」
笑顔で質問してくる。スニーカーをきっかけに話題を広げようとするあたり、何かの勧誘か? と訝しんだ。だいたい本屋で知らない人に話しかけられて、棚の前で喋るなんてシチュエーションがあるだろうか。あるんだろうな、実際起きてるから。でもそれはあるとしたら、目当ての本に手を伸ばそうとしたら横から別の人の手が伸びて指が当たるとか、そういうものだと思っていた。
いま起きているのは、新書の棚の前でスニーカーを褒められて、そこからファッション事情を聞かれているということである。
「いや、今着てるのは違うんですけど、前は服もよく買ってました」
「へー、無印いいですね。僕はユニクロばっかりで、今日も全身ユニクロなんです笑」
「え、この靴も?」
自然とタメ口になった。
「あ、いやこの靴は別なんですけど笑。服は無印で買うことが多いんですか?」
「うーん、前はよく買ってたんですけど、どこかのタイミングでデザインがあんまり、、、になっちゃって」
「そうなんですね、、」
男性は笑顔で話してくれる。だから会話はまあ、楽しいのだが、一方で僕は本を物色するために来たので、その目的を果たしたいという気持ちもあった。
直撃質問
それに、感じのいい青年だとしても、やはりその思惑が気になった。聞いてみた。
「あの、本当にスニーカーが気になっただけで話しかけたんですか?」
「はいそうです、スニーカーが本当に気になって」
その言葉や表情は、弁明するような焦りを感じることもなく、何かを覆い隠そうとする後ろ暗さも感じなかった。たぶん本当にそうなのだろうと思った。一方で、人が履いているスニーカーのブランドが気になって話しかける胆力は凄まじいと思った。というのも……
「そうなんですね。なんか勇気でました」
「え? どうしてですか?笑」
「実は僕もこないだ、いいなーって思うスニーカーを履いてる人を見かけたんです。飛行機に乗ってた時、僕は通路側に座ってたんですけど、向かいの通路側で斜め前に座っていた人の白いスニーカーがすごくよくて。何のブランドか知りたくて聞きたかったんですけど、聞けなくて……」
「あー、でも飛行機だと聞きづらいですよね……
「でも聞けばいいんだなって思いました笑」
新書棚を見るお客さんも来たので、あんまり立ち話するのもな、と思ってここらへんで退散することにした。
「でもありがとうございました」と言ってふらふらと文芸コーナーの方に歩いていった。
「え、なんでですか?」
「気になる靴履いてる人いたら聞けばいいんだなと思ったので。ありがとうございます笑」
そのあと画集『東京夜行』の見本を読んだりして、ブックファーストを後にした。
新宿駅西口広場を歩いている時、「もう少し話しても良かったのではないか?」という気持ちが湧き上がってきた。悪い人ではなさそう。それに書店にいるということは本に興味があるということだから、話か合うかもしれない。土曜日の夜21時半。1杯だけ飲むとか誘ってみてもいいのかもーー
ブックファーストに戻ろうかと思ったけど、やめた。たぶんそういうんじゃなくて、こういう一期一会を大切にするべきなんだろう。
帰りの電車、あらためてこの不思議な会話のことを思い出した。僕も昔から、いいスニーカーを履いてる人にブランドを聞きたいという欲求を何度か抱いたことがあった。それを抑えたり消したりすることなく、その場で話しかけて聞く。自分の気持ちに正直であること。そういう気持ちを持つ彼を尊敬した。
し、やっぱり単純に自分が履いてる靴を褒められたのは嬉しかった。実はこのスニーカー、先日洗濯したばかりなのだ。洗剤を溶かしたぬるま湯に浸して、ブラシで磨いて、新しい靴紐を通した。それでそれを履いて街に出た最初の機会が、あの土曜の夜だった。だから洗いたてのスニーカーを見出してくれたのは率直に、というかかなり嬉しかった。
昔ツイッターで、「アメリカでは街中で見知らぬ人に褒められることが多い。こないだ信号待ちをしていたトラックの運転手が大声で「お前のブーツ、いいな!」と褒めて去っていった」という話を読んだことを思い出した。見知らぬ人からの褒め、いいなと思った。
あの青年、やっぱりなんかの勧誘だったのだろうか。だとしても何か大切なものを受け取った気がする。